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ベートーヴェン「第九」
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ベートーヴェンが〈第九〉を書いた当時、その社会は、現代の我々の想像を超えて重苦しい状況にあった。ナボレオンが失脚したあと、1814年から1815年にかけて開かれたウィーン会議を境に、ドイツ・オーストリアの状況は、1789年のフランス革命より前の状態、いや、それどころかもっとひどい状態に逆戻りしてしまったのだ。オーストリア外相メッテルニヒの保守的な圧政によって街にはスパイがあふれ、さらに1820年代前後には検閲システムが公的に作動し始め、政治的な異議を唱える出版物が禁じられるようにもなった。とくに大学関係者や芸術家は検閲や監視の対象となり、ベートーヴェンの会話帳からも彼がスパイににらまれている様子を読みとることができる。こうした時局のなか、周囲の証言からは、ベートーヴェンが社会的不安や慣り、愛国的な感情をため込んでいたことがうかがえる。こうした感情が、交響曲というパブリックなジャンルのもと、コンサートホールという公共空間で、しかも過激な自由思想を人々に解き放ったフリードリヒ・フォン・シラーの「歓喜に寄す」の言葉を活用して、大作を世に送り出そうという企図へと結実した。このような背景に目をやると、本作は、平和や平等への単なる希求にとどまるものではなく、人問に許された自由を勝ちとろうとする明確な決意表明である、と受けとることができるだろう。
さて、初演はどんな様子だったのだろうか。ベートーヴェンは、総指揮者ミヒャエル・ウムラウフの隣に立ち、楽章ごとに始まりのテンボを指示したという。管楽器の数は2倍、合唱は劇場所属の少年たちを含むおよそ90名という大編成であった。第2楽章は、喝采のあげくアンコールを求められたという。ソプラノ独唱のヘンリエッテ・ゾンタークとアルト独唱のカロリーネ・ウンガーは、20歳前後の若き歌手であったが、当時すでに人気を集めており、この作曲家もずいぶん気に入っていたことが手紙に表れている。いっぽうの男声独唱者に関しては、初演間際に2人とも交代しており、どうやらかなりバタバタしたようだ(もろもろの準備が問に合わなかったため、初演は当初の予定日から延期されている)。なお、初演プログラムは《献堂式》序曲、《ミサ・ソレムニス》から〈キリエ〉〈クレド〉〈アニュス・デイ〉、そして《第九》であった。
作曲は、断続的にそして長きにわたる試行錯誤のなか進捗していった。交響曲に声楽パートを導入しようというァイディア自体は、早くも1818年のスケッチ帳に読むことができる。1822年に同じスケッチ帳に書き込まれたメモには、「歓喜に寄す」の詩の冒頭にメロディがつけられてもいる一ただしこのメロディは、我々が知る4分の4拍子のものとは異なる8分の3拍子で書かれており、興昧深い。これらの断片が《第九〉へと結実するためには、もうしばらくの時が必要だったようだ。シラーの詩(初版:1786年、改訂版:1803年)に関しては、ベートーヴェンはかなり早い時期、おそらくボン大学の聴講生時代(1789年5月以降)に聞き知っていたようで、ほかの曲でもこの詩を用いている。また、彼のほかにも多くの作曲家によって歌曲として付曲されているので(例えばシューベルトのD189)、これを機会にぜひ比較してみてほしい。
冒頭でホルンと弦楽器が奏する原初的な租音は、長隅とも短課とも判別しがたいおぼろな幕開けを告げる。その後、2オクターヴにわたる二短凋の主要主題が、さまざまに展開されてゆく。ただし、長調の主題はつかの間現れるにとどまり、全体の音課は悲劇的といえる。
急速なテンボで疾走する主部と、長国に転換した静的な中問部(トリオ)とのコントラストがあざやかだ。
全体は8つの部分に分けられる。その各部分が、抒情あふれるメロディを瞑想するかのように変奏してゆく。
テンポと拍子が目まぐるしく変化するフィナーレ。「恐悔のファンファーレ」と呼ばれる不協和の一撃で始まる。その後、第1~3楽章のメロディがそれぞれ回想されるが、これらはバス独唱によって否定され(「おお友よ、こんな音楽はよそう!」)、歓喜主題が器楽によって奏でられる。再び「恐怖のファンファーレ」が現れると、今度は声楽が歓喜主題を引き継ぐ。打楽器を活かしたトルコ軍楽風の行進曲や、トロンボーンが登場する教会音楽風のセクション、2つの主題に基づく二重フーガのセクション、オペラ・アリア風のセクションなど、絵巻物をみるかのごとくさまざまな様式が並べられ、圧倒的なクライマックスを築く。
西田紘子 Text by Hiroko Nishida東京交響楽団第3代音楽監督。
イギリス生まれ。フランクフルトとヴィースバーデンの歌劇場で指揮者としてのキャリアをスタートし、ルツェルン交響楽団首席指揮者兼ルツェルン劇場音楽監督、アンサンブル・アンテルコンタンポラン音楽監督、バンベルク交響楽団首席指揮者を経て、2017年よりスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督も務めている。抜群のプログラミングセンスと古典から現代曲まで幅広いレパートリーで、世界の主要オーケストラ・音楽祭に客演している。
2010年、バンベルク響とのCDが、世界で権威あるフランスのMidem音楽賞最優秀交響曲・管弦楽作品部門賞受賞。2009年バイエルン文化賞受賞。2016年バンベルク大聖堂にて、大司教より功労勲章を授与。2020年第32回「ミュージック・ペンクラブ音楽賞(オペラ・オーケストラ部門)」を、東京交響楽団とともに受賞。
レコーディング活動においても多彩な才能を発揮。ウィーン・フィルやベルリン・フィルとの録音のほか、東京交響楽団とはオクタヴィアレコードより9つのCDをリリースしている。
1946年、東宝交響楽団として創立。1951年に東京交響楽団に改称し、現在に至る。現代音楽の初演などにより、文部大臣賞、毎日芸術賞、文化庁芸術作品賞、サントリー音楽賞、川崎市文化賞等を受賞。サントリーホール、ミューザ川崎シンフォニーホール、東京オペラシティコンサートホールで主催公演を行うほか、川崎市、新潟市などの行政と提携し、コンサートやアウトリーチを積極的に展開、教育プログラム「こども定期演奏会」「0歳からのオーケストラ」も注目されている。また、新国立劇場のレギュラーオーケストラとして毎年オペラ・バレエ公演を担当。海外公演もウィーン楽友協会をはじめ58都市78公演を行う。さらに「VRオーケストラ」や電子チケットの導入、日本のオーケストラとして初の音楽・動画配信サービス『TSO MUSIC&VIDEO SUBSCRIPTION』をスタートしたほか、2020年3月にニコニコ生放送でライブ配信した無観客演奏会は約20万人が視聴し注目を集めるなど、ITへの取組みも音楽界をリードしている。音楽監督にジョナサン・ノット、桂冠指揮者に秋山和慶、ユベール・スダーン、正指揮者に原田慶太楼、名誉客演指揮者に大友直人を擁する。
Photo by N.Ikegami/ TSO