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グルッペン・フューラー『我が妄想』

所謂「マリオメーカー問題」と呼称される事象についての若干の雑感

2015-10-11 01:45:12
0.本稿の内容を三行で纏める。
・今回の問題の本質は人気実況者によるランキングの「寡占」に対する違和感だったんだよ!
・そして「ニコニコ動画」で成立する「市場メカニズム」では「寡占」は是正できない。

・じゃけん「まだ評価されてない投稿者」をランキングに放り込んで「寡占」を壊しましょうね~。

※(10/17日)ご好評につき、内容に変更のない範囲で見やすく修正、追記しました。追記と書かれているものが、書き加えたやつです(下らない微修正も多々あり、そこには書いてませぬ。ご了承ください)。より多くの人に見てもらい、討論され、この私の論理を陳腐化させてくれたら、筆者としてそれ程嬉しいことはありません。

1.はじめに。

 楽しそうで作ってしまったブログ。いつもお世話になっておりますグルッペンです。
 ツイッターという文字数の制限された空間で、クソ長い文章を垂れ流してた私にとって、ブログというモノはとても開放的で自由な空間で御座います。自由を得た以上「自由と言う名の不自由を感じる」と意志薄弱な情けない人間のような事を言わず、その与えられた自由を存分に活用し、自らの効用の最大化を図り、あわよくばこのクソ乱雑難解長文を読破してくれる勤勉な読者さんの人生の糧になってくれたら…と思います(しんどいので敬語はここで終了)。

 とりあえず、横のスクロールバーを見れば察して戴けると思うが、クッソ長文である。正直、誰が読むんだよ!というレベルである(だれか翻訳してくれてもいいのよ!)。もしこれから本文を読もうと考えられている勤勉な方がおられるのであれば、この文章の難解さと膨大さに心してほしい(しかも「一筆書き」ゆえに誤字脱字の雨だろうと考える。なんかのテロの一種である。追記。現在は多少の修正を加えている)。しかし、長文故に、一定の価値ある知見を上手く表現できたと考えているので、興味のある方は是非ゆっくり読んでもらいたい。
 さて、今回このような場所を作ったのは、タイトルにある件(所謂マリオメーカー問題と呼称される問題)に関して意見表明をする為である。その動機であるが、誰かの意見が気に食わないから殴りこみに来た、というわけではなく単純に自分の中で一定の価値ある(と考える)考えが生まれたので、これを心の中で眠らせておくのは耐え難いと言うのが主な動機である。自己満足の究極形態と言っても過言ではなかろう(まあ、提案の動機に心根の正しさまで要求する必要はない)。まあ、記念碑的な感じである。身勝手な動機であるが、この論議に興味のある方々にとって少しでも参考になれば幸いである。
 このブログに記した私の雑感の思想的背景には、本件問題に先行して意見表明をされた多くの方々、特に「ふぅ氏」、「鋼兵氏」、「オワタp氏」、「KUN氏」の考え方に大きな影響を受けている。彼らの勇気と叡智に敬意を表すると同時に心からの感謝の意を表したい。大変参考になりました。

2.読み方。
 これから私の長い文章を読むに辺り、幾つか注意してほしいことがある。これは、私の長大な文章を正しく理解してもらう為の「補助線」について述べたものである。必ず一つ一つ覚えてもらいたい。
 第一に、「距離の感覚」を持って欲しいという点である。これはニーチェやウェーバーが度々述べていた用語である。私はここに意見を表するに至り、自らの思想や所属する立場を一度脇に置いて、意識的に自己相対化し、執筆している。何故なら、主観的になれば自らの立場を考慮した発言となり、真実から遠ざかってしまう可能性があるからである。私の場合、投稿者としての立場があるが、これを意識的に忘却している。諸君らの場合、視聴者としての立場があると思うが、これの相対化を意図的に努力してほしい。論理のみが我々を指導する。
 第二に、各人はある程度合理的に行動するという前提を置いている点である。これは経済学で良く使われる前提である。何故なら、人が合理的な行動を行わなければ、物事を論理づけて説明する事が難しくなるからである(あらゆる想定が不可能になる)。それ故に「人は基本的に合理的な行動を行う。一部に例外はいるがそれは無視できる。」との前提を置く。多くの学問領域において、このような前提を置いており、それは一定の権威を持っている。よって、これに対する異議は少ないと思う(例外があれば理論的修正を行う事により対応する)。
 第三に、行動に心根の正しさを要求しないという点である。人間は様々な目的を持ち行動しており、中には「批判に値する不純な動機」を基にした行動を行う者もいる。しかし、この場では原則として「結果」のみ着目する。その理由は以下二点が考えられる、一点目は行動に心根の正しさまで要求すると、極めて「難解な施策」が要求されるという点である。二点目は「心根の正しさ」の定義が極めて不安定でありはっきりした定義を決め難いという点である(その場合、行き着く先は何かの宗教のようになるか、定言命法である)。しかし、例外として動機の不純さの批判を受けることにより結果が損なわれる場合はこれを考慮する事とする。
 第四に、統計資料がないので、論理の塊でしか証明が為されないという点である。本来なら証明すべき事象のアンケートを採ったり、統計資料の分析を行ったりすることにより、統計学的手法により論理を進めるべきと考えるが、そのようなデータは営利組織である運営から公開されることは殆ど無い。それ故に、どうしても「納得できる理屈」をつなぎ合わせて説明する事となっている。(追記。ずいぶん前に私はツイッター上で運営に対して「統計資料公開せんかい」と要求していたが、現在は理論的修正を行っている。何故なら、統計資料というモノは、余りに「事実」を見せてしまう為である。経営者には所有者様や他社といったような利害関係者との極めて難しい関係がある。一応、外部からニコニコ動画のデータを観測できるサイトがあるので、これを利用する事により、ある程度正確な事がわかるのではないかと考える。その分析は後続者に譲りたい)。
 第五に、必ず反対意見の吟味を行うため、折衷的な意見が多いことである。法学既修者しかわからない説明かもしれないが、「法律の留保」における「法律による行政」の「法律の留保の範囲論議」のような考え方をする。積極案、消極案を吟味した上で、折衷案を回答として考える。つまりあまりラジカル(根本的)な変更を伴う提案は行わない。極めて現実的な路線の提案を行う。
 第六に、全て読まないと本質を理解できないという点である。海へ流れる大河も最初は小さな源流である。私が最後に行う導き出された結論は、全体を通して俯瞰的に読解しなければ、完璧な理解は難しい。もし、興味をもたれる方がおられて、本質を理解した上で問題を吟味しようと考えてくれる方がおられるならば、文章全てをしっかりと通して読んでほしい。良くある免責事項であるが、実際そうなのである。
 第七に、目的を「ニコニコ動画の持続可能な発展を可能とする政策を提示する。」事とする。今回の問題の解決と共に、それがニコニコ動画の継続的発展に繋がるような物にしなければならない。極端な例であるが、もし「問題を解決」した結果「ニコニコ動画が滅亡する」としたら、そのような解決は行わない事が好ましい選択肢となる。比較衡量は常に公益が優先されることとなり不当であると良く言われるが、営利組織であるニコニコ動画運営に適用するのはふさわしくないだろう。
 最後に、ちょいちょい難しい言葉が出てくると思うが、それはググれば理解できる程度のものである。時々、筆者がその意味を誤解して運用し、無学を晒している可能性があるが、その場合嘲笑って戴けたら幸いである。

3.先行研究の紹介。
 まず最初に、先行して意見表明された方々の動画の内容を分析し、各人の主張を吟味、議論の流れや論点を整理したい。本件問題の表面化以降、それに纏わる様々な動画が投稿されている。余りに多くの方々が主張されており、そのすべての整理は断念した。今回はオピニオンリーダーたる四名(ふぅ氏、鋼兵氏、オワタp氏、KUN氏)に限って取り上げたいと思う。

(1)ふぅ氏による主張。
 最もラジカルな主張をなされたのがふう氏である。本件問題の着火剤となった。

 彼の思想的基盤には、素朴な「古き良きゲーム実況」に対する憧れがあるようだ。その時代を破壊する「マリオメーカー」や、彼が言う所の「市場原理により角が落ち、画一化された投稿者達」による「ランキング独占」に対する嫌悪感がこの動画投稿を行う動機となっている。
 彼曰く、今回の問題の直截な原因は「投稿者が自らの利己的な欲求に基づき、ゲーム発売と同時に実況を始めた事にある」と主張されている。本件問題は投稿者が「再生数を最大化する合理的な行動」を取った結果起きた現象である事は説明せずとも疑いの無いことであり、その主張は妥当であろう。
 彼の提案する解決方法は「現状を憂う人々」によりこの動画を「ランキング」に浮上させることで「問題の周知」を行う事、そして「有名実況者」に「「中堅実況者」を「紹介」して貰う事により「ランキング」へ引き上げる」事を「要請する」事である。前者に関しては成功していると考える。一方、後者に関しては例え行われたとしても効果は限定的だろうと考える。何故なら、「合理的な行動」を行う「投稿者」は、自らのパイを奪う競争相手を増やす事が考え難いからである(この辺りは後に述べるKUN氏も論じている)。また、自然発生的にそのような動画(動画紹介動画)が生まれる可能性も考えられるが、権利関係の問題から収益化が難しく、「合理的な行動」の下ではそのような動画は生まれない(若しくは長く続かない)と考える。よって、後者に関しては全く期待できないだろう。
 また、彼は一見道徳的な見地から主張を行っているように思われるが、実は道徳性より結果の妥当性を重視している。これもKUN氏が述べているが、社会通念上問題がより大きいのは「動画化を許可されていないゲームを発売から時間を経てから動画化する」>「動画化を許可されたゲームを発売直後に動画化する」である。法的見地から言えば、後者は全くの白であろう。また、金儲けに対する嫌悪という道徳的批判を成されているが、それは昔のニコニコを破壊した張本人だからという理由であり、その道徳的説得は後付け的なものだろうと考える。合法的な経済活動になんら帰責性が存在しない。それは資本主義経済全体に対する挑戦である。
 「俺たちの居場所を壊さないでほしい。」という言葉が胸に響くが、ふと思い当たったのは明治20年代の江戸時代回顧ブームである。明治維新は起き、近代化が巻き起こっているのに、明治の方々は江戸時代への回顧にハマってしまったのである。私は、彼をこのような懐古趣味に魅入られた人々に通じるものを感じる。彼のいう所の「角が取れた画一化された投稿者達」が活躍する流れは、各投稿者が「合理的に行動」した結果生じたものであり、ある種必然的な現象である。マルクスは「共産党宣言」において資本主義を表して「人間をそのうまれながらの目上とむすびつけていた色とりどりの封建的なきずなを無慈悲にひきちぎり、人と人とのあいだに、ろこつな利害、無情な「金勘定」のほかには、なんのきずなをものこさなかった。」と論じている。世界の封建的な絆を破壊しつくした原理に、道徳を持って立ち向かうのは無理があるだろう。
 しかし、ニコニコ動画視聴者の多くが感じる、素朴な不満を上手く言語化した素晴らしい作品であることは間違いない。
 封建的な絆を軸とするアングラ感がなくなり、市場メカニズムに則った明るい世界に出張り始めた近年のニコニコ動画は、彼らにとっては住みにくい場所になってしまったのだろう。ところで、アングラ感が損なわれると、ニコニコ動画の衰退を迎えるといった分析も随所で見られるが、所謂「タレント実況者達」が一定の成功を収めているを見るに、問題が無いように考える(株主総会用の資料を見るに、所謂「タレント化」が進む現在の状況下でも、ニコニコ動画の収益は上がり続けている)。これは、後の鋼兵氏の議論へと繋がる。

(2)ガルナ(オワタp)氏による主張。
 ふぅ氏への反論だと考える。既存の状態でも問題がないとの考えである。

 彼は、ふぅ氏風に言う所の「画一化された投稿者達」と呼ばれる存在を肯定的に取り上げた。彼は「画一化された投稿者の動画」のランキング独占は「皆が望んだ産物」であり問題がないと主張している。また、今回のランキング独占は「バブル的」なものであり、いずれ落ち着くだろうと予言している。確かにブームの後には必ず「飽き」が来て沈静化するという事は経験則上妥当であろう。(私見ではあるが、音楽の作曲のような外部でも需要がある能力ではなく、動画サイトのような場所でなければ通用しない実況者達はニコニコ動画から離れることはないだろうと考える。よって、破滅的な衰退には繋がらないだろう。)
 また、氏は「合理的な行動でゲームを選択した投稿者」がいずれ「本当にゲーム好きになる」可能性を期待している。この点から、「画一化された投稿者達」に対して一定の道徳的な問題があると考えているようだ。即ち、結果の妥当性を重視しつつ、投稿者に心根の正しさも要求している。
 コメントにもあるように、確かに主張を捉えにくい動画ではあるが、この動画一本を体系的な一つの思想として捉えるのではなく、別個の論議を並べて論じていると考えれば理解しやすい。珍しい介入不要側の意見であり、貴重な意見である。

(3)鋼兵氏による主張。
 ガッチガチの理論派である。事実に基づいた緻密な分析が光る。さらに、その優れた分析と共に、視聴者を楽しませることにも心を砕いているのが見て取れ、その心意気には敬意を表さざるを得ない。ちなみに、私の本件への興味も彼の動画から来ている。

  

 この動画の前半における、ニコニコ動画の性質に関する分析は、以下に述べる本論の「理論的基盤」となっている。もし見ておられない方がおられたら、一度目を通してもらうと良いだろう。ここにおいて彼は、ニコニコ動画が発展した要因を分析し、以下二つを挙げた。
 一つ目は、ニコニコ動画が「ユーザーが主体的で作り出すエンターテイメント広場」であるという点である。ニコニコ動画は一方的に投稿者からコンテンツを提供されているだけではなく、ニコニコ動画で行われるコメント等が新たなものを作るという事である。確かにコンテンツへの作り手としての参加が観客の達成感を生む事は心理学的にも実証されている話であり、妥当な主張である。この話は、本稿においては関係ないが、運営による表現内容規制に対する反発に繋がっている。
 二つ目は「マイリス至上主義のユーザー生成コンテンツランキング制度を取るサイト」であるという点である。即ち、各ユーザーに配布されたマイリストという有限の通貨を使用する事により、より精密に「好きな動画(話題+金の払える動画)」を評価できたという考えである。つまり、これを筆者的なアプローチで解説すると、ニコニコ型市場メカニズム(※筆者の造語。以後乱用する。)が機能しており、それは各投稿者が再生数を増やすべく「笑わせる努力」(マイリストは「笑われる」ではなく、「笑わせる努力」を必要とする)を強要される(視聴者の持つマイリスト及び時間は有限な為、投稿者達の「市場競争」とも表現できる)為、ニコニコ動画のランキングに入っている動画は一定の動画のクオリティを担保できているという理論である。確かにニコニコ動画には「マイリストという私有財産」「動画の私有制」(私有財産制)、「動画へのアクセスの自由」「マイリスト登録する動画の自由」(取引の自由)があり、市場メカニズム成立の前提条件を満たす。言い方を変えると、市場メカニズムにより、各投稿者が皆「視聴者を笑わせる努力」を競い合う事(=「視聴者を笑わせる」努力)になり、ニコニコ動画は「笑わせる努力をする」「投稿者」で「画一化」され、クオリティが担保されると言う事だ。以上のように、市場メカニズムのアプローチを通じた解釈を行えば、鋼兵氏の言う「ニコニコ動画は投稿者が笑わす努力をする動画サイト」との定義は論理的に解説が可能である。
 また、彼が論じたもう一つの重要な知見は「人気作品が一目で分かるランキングを視聴する人が非常に多い」という点である。即ち、ランキング」というカタログを通じて「市場メカニズム」に参加する視聴者の割合が高いという事である。ここでランキングの性質と重要性が理解できる。
 以上、鋼兵氏による「
ニコニコの性質」に関する分析は、今後様々な機会で行われるであろうニコニコのあり方に関する多様な論議の理論的前提となる永久不滅の偉業であろう。
 通称マリオメーカー問題における考察も妥当なものが多い為、ここで解説する。彼の意見を筆者風に意訳し纏めると、その問題点は以下の三点である。一点目は「新作ゲームが許可されていたため、ゲーム発売と同時に複数の有名投稿者が合理的判断(「新鮮なゲームは視聴者に受けるという判断」)に基づいて行動した結果、一斉投稿が行われ、カタログたるランキングを独占してしまった。」という点。二点目は「任天堂とゲーム実況(彼のいう所のリアクション系実況)の相性があまりに良すぎ、また量産性に優れていた。」という点。三点目は「youtubeの要素のニコニコへの持ち込みにより文化的衝突を起こした。」という点である。問題の発生プロセスの解析として妥当な解説である。以上の指摘は正しいという前提で話を進める。
 しかし、当然ではあるが、彼の意見の全てが、絶対的に正しいという訳ではなく、マクロな目標が見失われた対処法の提示、そして個人的懐疑に基づいた論証や衆人に訴えかける論証が行われている部分が散見される。また、一部ではあるが、「論理が完全に破綻」している部分も見受けられる。具体例を挙げると「【ゆっくり雑談】無能運営にニコニコが発展する方法を教える講座動画」においてニコニコの発展を「ニコニコのシェアが広がってユーザーも満足して金を落として運営が儲かる」事と定義しているが、「【ゆっくり雑談】無能運営にニコニコが発展する方法を教える講座後編」において「ニコニコ動画発展の為の提言」を実現してもらうべく「実際に運営を動かす方法」を提示した際、他の動画運営サイトの参入によりニコニコ動画の危機感を煽る、即ちニコニコ動画による「独占状態の市場」を壊し「完全競争市場」にするという方法を提案していた。しかし、ミクロ経済学を学んだ方ならご存知だと思うが、独占状態の市場の利潤(π=TR-TC(π:利潤、P:価格、Q:生産量、TC:総費用、TR:総収入))は独占企業が値段の設定に関して広い裁量を持つ為、完全競争市場(π=P・Q-TC(π:利潤、P:価格、Q:生産量、TC:総費用)同じか。)に比しより大きな利潤を得ることができる事(完全競争市場では市場価格Pに準拠してP=MCを満たす水準で生産量を決める、一方独占市場では企業はMR=MC(MR:限界収入、MC:限界費用)となる水準において生産量を決定し、需要曲線上で価格を設定すれば利潤を最大化できる。社会通念から考えて特殊な場合を除きどちらが良いかはすぐわかるだろう。)が知られている(図説と方程式を用いて証明する事が好ましいが、wikipediaとかにあるだろうから、この場では割愛する)。さらに言えば、新規参入が可能な市場は、初期に利潤が正ならば最終的に利潤が「0」になる(長期の市場均衡)という話も有名である。市場競争は、企業にとって利潤を食いつぶす「最悪の事態」であり、「運営は儲からなくなる」(具体的には、実況者の引っ張り合いや社員の引っ張り合いが巻き起こるだろう。例えば、社員のヘッドハンティングや実況者に自らのサイトで高値で「優秀な独占動画」を作ってもらう等による労働価格の上昇、そしてプレミアム会員費の値下げ圧力等が考えられる。一言で言うと彼はそのような市場メカニズムの競争をあまり考えてなかったようだ)。よって、鋼兵氏によるこの主張は「手段が目的を破壊」しており、論理的に破綻している(上手く利用者を統制する事が出来るならニコニコ動画の利潤が損なわれないように運営に圧力をかけることが可能だろうが、実際は各個人は効用が最大化されるように行動するだろう)。運営を動かす方法として、完全競争市場を創造するという企業にとって最悪の事態を誘引するのではなく、もっと別の方法を考えるのが妥当であろう(因みに現在は別の方法を見つけておられるようだ。道徳的問題は兎も角として理論上の瑕疵は治癒された。まあ、それ故にこれを例に上げたのである)。このように彼の動画を論文の査読の如く論理の妥当性を吟味すると、しばしばこのような破綻が確認できる。だが、今回そのような「揚げ足取り」は本論の結論に影響を及ぼさないので割愛する。一部、彼の間違いを適示したが、動画の本質的要素になんら問題はない。
 最新動画において鋼兵氏は所謂「マリオメーカー問題」の解決策を提示した。「マリオメーカー問題からゲーム実況に起こる本当の恐怖を解説する」で彼が提唱する解決策は、極めてラジカルなものである。要約すると「実況者による一般公開動画による動画収益を無くし、代わりにユーザーチャンネル内での動画収益を推奨する事」である。これは、「動画で収益を得る」ではなく「動画で人気を得て有料チャンネルで収益を得る」方向へ実況者を誘導する、即ち「有料チャンネルに加入したいと思わせる動画を一般公開で投稿」するように制度的に整えようというのである。そうすれば「有料チャンネルに入ってもらう為に本当に質の良い動画を作る」「一部有名実況者とそのファンも隔離できる」との考えである。また、「プレミアム会員の払うお金」が「好きな実況者」のみならず「嫌いな実況者や釣り師」までに「分配」されることは道徳的に健全ではなく、それに比し「好きな実況者」にお金を払えるようにしたほうが道徳的に健全であるとの利点を挙げている。
 しかし、これは「笑わせる努力」を競争する(筆者的に言うとニコニコ市場メカニズム)の秩序の根本から破壊する提案である。この場合、著名な投稿者は、自らの利得を最大化する為に、投稿しても無益な「一般公開する動画投稿」を「必要最小限度」しか行わなくなるだろう。何故なら、彼らは自らの持つ希少資源(有限である時間、労働力、機材といった資源)の多くを、経済的利益を得られる「有料チャンネル登録者(しかも多くは既にかなりの人数手にしている)」を満足させるために使用する事が「合理的な選択」となるからである。その結果、少なくとも以下二点の弊害を招くと考えられる。
 一点目は、「一定のファンを持つ投稿者(人気投稿者)」は「シリーズpart1」だけを一般公開し、「part2」以降を有料チャンネルの中に投稿するなどと言った行為が頻繁に行われる事になる点である。つまり、投稿慣れして技術が精錬された「有名実況者」たちが、彼が言う所の「クソサムネ」で「動画シリーズのpart1」だけを一般公開し、それらがランキングを独占することになるだろう(資源を多く保有し、多くのファンを持つ所謂「有名実況者」が、他実況者を圧倒するのは間違いない、また倫理的な批判が寄せられるだろうが、有料チャンネル内での活動が主になれば、そのような言論を考慮する必要性が薄れるだろう)。それは現在の状態に比し優れているとは到底思えない。
 二点目は、一般公開動画の投稿減少はニコニコ動画全体の活気を失する事である。実際、所謂「合理的に行動する有名実況者」による「収益を目的とした一般公開動画投稿」が「膨大な人数の視聴者の効用」を生んでいる事は疑いが無い。また、逆に言えば、現在「膨大なライト層の需要」を「有名実況者」が満たしているのだ。それを全体主義的アプローチにより一掃した場合、一般公開される動画の総量が減り、一般会員層は勿論、「金の持たない若い人々(=将来金を落とす可能性がある人々=将来のプレミアム会員や有料チャンネル会員)」や「有料チャンネルに入るほどではないが、実況を見ている(=プレミアムだけど有料チャンネル会員になるまで至らない人)」層という膨大な予備兵力の利得を減らす事になる。これはニコニコの魅力低下と過疎化に直結する。そもそも、ニコニコ動画はその膨大な視聴者こそが「最大の武器」である。ニコニコ動画はこれを手に広告収入を得たり、参加型の文化を生成したり多くの活力を生んでいる。また、多くの産業がこの視聴者層を手にしようと食指を動かしている。この貴重な武器の価値を減じる政策は自傷行為に等しいだろう。優秀な人間の発表の場を奪ってはならない。よって、本件提案は、得られる利益と失われる利益の比較衡量が適正になされていないと考える。(追記。完全なる揚げ足取りで申し訳ないが、実は彼の提示する政策実現の為の「手段」も妥当でない。つまり、市場メカニズムに頼り放っておいても「クリエイター推奨プログラム」の収益率遁減に合わせて「有料チャンネル」の「魅力」が相対的に増すのである。即ち、市場メカニズムに任せておけば、供給側と需要側双方の必要に応じて、最も効率的(厚生経済学の第一基本定理)に有料チャンネル及びそれに付随するコンテンツが発展するのである。わざわざ政策的にクリ奨収益をゼロにする必要はない。この考え方は後に使うので、覚えておいてくれたら幸いである。)
 いずれにせよ鋼兵氏の提案は、既存の制度の原理を根本から変革する急進的な提案であり、多くの疑問を挟む余地がある。鋼兵氏の動画では既存の分析に関しては極めて精巧であると評価できるが、それの解決手法や先にある彼の描く未来像についてはよく検討する必要があるだろう。
 極めて多くの知見を我々に提供してくれた氏に敬意を表し、長文となってしまった。批判的な分析も行ったが、そのような問題を内包しつつも、得られる知見と比較考量すると、「論理的で極めて優れた歴史的動画である」という評価は揺るぎ無い。本問題の研究進展は彼への問答によって成り立っていると言っても過言ではない。一つ一つの主張をその論拠が妥当であるか、論理が破綻していないかを吟味しながら動画を視聴していくのが望ましい。
 因みに鋼兵氏の動画は、かなり前の動画から遡り、舐めるように見なければ本質が理解できない。膨大な思想的背景が前提としてあるのだ。視聴する際はその事に気を付けてほしい。

(4)KUN氏による主張。
 英米系の合理主義的な考え方を行っているのがKUN氏である。私の思考プロセスは彼に近い。即ち「合理的な選択を行う主体=投稿者」が「合理的な選択」を行うことを前提として、主張を行っている。そして、その「合理性」をある程度許容しているのが特徴である。


 彼の特徴を挙げるとすれば、鋼兵氏のように統合された体系的な主張を行うと言う形ではなく、各論での提案を行っている点が挙げられる。また、「理念的な説法ではなく、情より理で動かそう」との発言に代表される合理主義者である点も挙げるべきである。また、鋼兵氏を意識しているのか、彼の言説への反論が多く見られるのも特徴である(逆に言えば、鋼兵氏はそれほど偉大な影響力を持つ思想を持ち込んだともいえる)。一例を挙げると、鋼兵氏は「投稿者の画一化された実況」に関して批判を行っていたが、KUN氏はそれを「競争の結果練り出された」ものであり「現実の需要が存在するから、ランキングに彼らは存在する」として、比較的好意的に取り上げていた所に上記の特徴が表れている(一方で「ランキングに乗ってるから面白い動画な訳ではない」と述べており、一見理論的矛盾を起こしているように見える。しかし、需要を「面白さ+量産性」と解釈して考えれば矛盾は起こらない)。
 彼の主張で特筆するべき事は、論理構築がしっかりと為されている為、論理の破綻があまり見られない点である。しかし、一方で、鋼兵氏のような大胆な主張を行わない為、提案する内容が「妥当ではあるが、根本的解決には至らない」ものが多い。例えば、「たった1人で挑む人のランキングを実現するたった1つの方法」において、「「任天堂以外の収益が可能」という事を実況者が知れば、本件の解決に近づくのではないか」と主張したが、現実的な問題として、投稿者が持つ「新鮮な新作をすぐに投稿したい」という欲求は、あまり変化が無いだろう(一定程度の影響はあるだろう)。
 今のところ彼は、現在出ている通称「マリオメーカー問題の解説」に対する修正理論を提示する事を得意としており、鋼兵氏やふぅ氏の論理的な間違いを修正する役割に徹している。鋼兵氏の動画の共にこの動画を見れば、より良き真理に辿りつけるだろう。
 (追記。書くところが無かった為、ここで記述する。最近氏から「投稿者によるマイリスト登録してくれ」というのは不味いとの主張があったが、実は市場メカニズム的には問題がない。それに対抗して皆がやれば結局は同じようなランキングになるからである(当然格差は広がるが、ニコニコ型市場メカニズム的にはあまり変化はない。この話はサムネの件も同じである。因みにここから導き出される知見は、ニコ動の鋼兵氏風に表現する所の「youtube化」は歴史的必然であるとの結論である。市場メカニズムの前では生物多様性などというお涙頂戴など無意味なのだ)。)

3.筆者の考える本件問題の批判された対象。
 議論の流れを掴んだところで、漸く話を進めていく。
 数多の論議で見たように、本件問題の直接的要因は「マリオメーカーがランキング独占(第一の画一化)をした事が原因」である。そして、その批判の対象は「合理的な行動を取る実況者達(第二の画一化)」であると考える。それは「角が取れた、画一化された実況者(ふぅ氏)」というくくりで批判が成されている事に象徴されている。しかし、これらは表面上の要因に過ぎず、最も注視するべき点は「それらの批判が視聴者に一定の支持を受けている点である。つまり、「実況者のスタイルの画一化」に対して平時から「一定の不満として蓄積されていた」が、それが今回の「マリオメーカー」の件で噴出したと考えるのが自然であろう。よって、本件は、「マリオメーカー」の「ランキング独占(第一の画一化)」を材料とした「実況者の画一化(第二の画一化)への反発」であったと考える。
 つまり、マリオメーカーの問題(第一の画一化)は表層上の問題にすぎず、それが問題化して以後の行動は「画一化された実況者(第二の画一化)」への潜在的反発を持つ者たちによる「集合行動」であると考える。鋼兵氏は「サムネのyoutube化」を批判の対象に上げていたが、それも確かに「実況者の画一化(第二の画一化)」の一環であり批判のベクトルとして同じである。これが共感を呼んだ事もこれらの論理から頷ける。
 では、画一化された実況者は如何なる問題があるのだろうか。

4.多様性の確保の為に画一化は是正されるべきか。
 次に、画一化は是正されるべきかを考える。
 そもそも画一化がなぜ起こるのかを考えると、市場メカニズムが成立する場面では、競争参加者間による競争により「行動が精錬」される為、「無駄を省き」「効率を上げ」「合理化」を繰り返す。その無限の淘汰の末の「行き着く先が似てくる」為「個性を失い」「画一化」するのである。つまり「合理化」の果てに「画一化」があるのである。即ち、市場メカニズムにおけるサービス競争は、「スタートは違えどゴールが似たり寄ったり」となる。これは、市場メカニズムにおけるある種の必然的な法則である。実社会で例で言えば、大型スーパーが商店街を殲滅しまくりどこの都市でも大型スーパーが幅を利かすといった例、また多くの都市が優れた文化を受け入れ続けた結果、都市が合理化され「画一化」してしまう事、「コンビニ」というスタイルが基本的どこも一緒の雰囲気であるという事と同じ原理である。繰り返しになるが、競争により各主体が死力を尽くし、優れた手法を受け入れ続けると、到達する先は必然的に似てくるのである。つまり、鋼兵氏のいう所のニコニコ動画の発展を担った「マイリス至上主義のユーザー生成コンテンツランキング制度」は、「笑わせる動画」を競争的に作らせるというメリットがあったが、「画一化する」というデメリットも同時に有していたのである。つまり、競争の末、「必然的」に「画一化」されたのである。まるで高度経済成長日本の誇る護送船団方式の金融行政である。成長の要因になったが、停滞の要因にもなったのである。これらは、「合理化」された末に「画一化」されたものであり、実際に優れている故に否定する事は難しい。つまり、動画収益の許容によりその競争は変質または合理化が加速し、弊害が現れたという事は言えるが、現実としてその「合理化された実況者達」は多数の視聴者の支持を得ている(ランキングを独占できる能力を保有している)故に否定できないのだまた、これは努力の末に得られた結果であり、不利的に扱うのは道徳的な問題がある。
 次に、これが如何なる問題を有するかという事を解説する。ニコニコ動画はランキングをカタログとして動画を選択するサイトである。そのカタログの画一化は、利用者にとって非常に不便なものだろう。例えば、売れているからと言って「食べるラー油」しかカタログに無い通販を一体何処の誰が利用するであろうか。即ち、実況者の「合理化」と「画一化」が進んだ結果、類似商品がランキングを独占し、ランキングがカタログとしての役割を果たせていないのである。この「食べるラー油」が「マリオメーカー」だったのだ。このような例は現実社会でも良く聞かれる。行政の方がよく言っていたが、商店街に大手コンビニや大手ファーストフード店が出来たら終わりの始まりだそうだ。何故なら、選択肢が画一化されるため需要を捉えきれなくなり、やがて客が少なくなると、供給側たるコンビニやファーストフード店も需要に応じて一斉に撤退するのである。残るのはシャッター街だ。
 以上を総合すると鋼兵氏のいう所のニコニコ動画の発展を担った「マイリス至上主義のユーザー生成コンテンツランキング制度(=ランキングがカタログを兼ねる方式)」の原理的欠陥が露わになっているのである。恐らく、視聴者に対して「ランキングの下の方まで見ろよ」という意見があるだろうがこれは妥当ではない、不便(=利用者の効用が低下=利用者が離れる)であるし、視聴者は自らの趣向にマッチした動画に気づきにくくなる(カタログが20pくらいあって中身が「食べるラー油」200個くらい乗ってる中に数個だけ普通の商品が混ざっていたとしても、通常の判断能力を有する一般人たる多くの人間はそれを「食べるラー油」しかないカタログと思って捨てるだろう)。このようなメカニズムにより「本来全く非難にされるべきでなく、市場メカニズムに則って合理的行動をする投稿者」が「ニコニコの原理的欠陥」により悪を演じるハメになってしまっているのである。批判されている投稿者達は与えられた自由を最大限に使って、合理的に行動しただけである。彼らに帰責性は無い。制度に問題があるのだ。よって、カタログと同様の扱いを受けるランキングが本来の役割を発揮する為に、制度の改変を行い画一化を治癒する必要であると考える。
 「合理化」は称賛されるべきであるが、「画一化」は何らかの手段で解消されるべきである。

5.如何なる方法での是正がなされるべきか。
 「画一化」の解消する手段については、「正当な評価」を受けて現在の評価を受けた「有名投稿者」の権利を不当に侵害しない形で行うべきであろう。具体的には、その画一化解消政策は、人権規制立法の手段審査に関して用いられる基準の一つ、当該目的を達成するためにより制限的でない他の選びうる手段が存在しない場合に合憲とする基準(より制限的でない他の選びうる手段の基準(LRA)の法理(基準))に適合する形で実施する事が望ましい。規制の目的が正当でも、手段としてより制限的ではない他の手段が無い政策を行うべきである。ここから考えられるのは、原則として市場メカニズムによる是正(現状維持)が望ましい(レッセフェール)という事である。しかし、例外として市場メカニズムが健全に機能しない場合(現状維持で治癒されない場合)、介入の余地がある。何故なら市場メカニズムによって弊害の悪化を防げないのならば、自由放任はランキングの「究極的画一化」を意味するからである。
 次に、市場メカニズムで画一化の是正が可能かを考える。

6.ニコニコ型市場メカニズムによる是正可能性。
 画一化という問題を市場メカニズムの力で解消できないか検討する。即ち、自由放任によりランキングの多様性が取り戻せないかという事である。
 現在、市場メカニズムの制度下で「合理化された投稿者」によるランキング独占が行われている。しかし、本問題において多くの人間が「実況者のスタイルの画一化」に対して平時から「一定の不満」を持っていたという事が明らかになった。これを逆説的に言えば「既存の主流の実況スタイル」以外の方式に需要がある事の表れである。つまり原則として、市場メカニズムにすべてを委ね、これを放置していれば既存の実況スタイルに飽きた人々の需要を満たすような供給が行われる可能性は高いしかし「ダウンズ均衡」に類する事が生じると考える。つまり、違うスタイルではあるが似てくる)。
 また、鋼兵氏はマリオメーカーの量産性と再生数所得能力を表して「大量生産永久機関」と称したが、これは「限界革命」によって得られた知見を無視している。この法則に従うと以下二つの現象が起こると考えられる。
 まず、「限界効用逓減の法則」が適用されると考える。これは、「最初の一個のおにぎりは美味しいかもしれないが、二個目は一個目ほど美味しくない、三個目は二個目ほど美味しくない。」という法則である。つまり、数が多ければ多いほど、幸せの増加率が下がっていくのだ。つまり、「飽き」である。本件に当てはめると、マリオメーカーは長期的には「限界効用逓減の法則」に従い、市場メカニズムの中で「需要=視聴者のマイリスト」を失う、すると「供給サイドである投稿者」の「合理的な行動」により「動画投稿数が調整」され、最終的にランキングには「視聴者の需要に応じた最適化された数」を残してなくなる(マーシャル的調整課程)。(追記。これは少し誤りがある。視聴者がランキングを見る範囲が限定されているという点が抜け落ちている。まあ、誤差程度だが)鋼兵氏の言うように、マリオメーカーは画一化された実況スタイルにならざるをえない為、限界消費分から得られる効用の減り方も激しい=ブームの終焉も早いと考える。
 次に、「限界効用均等の法則」が適用されると考える。これは、「人が効用を最大化するとき、各財への貨幣の最終支払単位によって得られる限界効用(財の限界効用と価格との比)は、すべて等しくなるという物」である。クッソややこしいので説明をwikipediaを引用すると「具体例:白飯ばかり食べているとおかずが欲しくなる。この例では、人が白飯よりもおかずが欲しくなるのは、限界効用逓減により、白飯の限界効用がおかずの限界効用を下回ったためと解釈できる。」となる。本件に当てはめると、「マリオメーカー動画ばかり見ていたら、限界効用逓減によりマリオメーカー動画への興味を失い、マリオメーカー動画と並行して他の動画も見はじめる。」という事である。
 限界革命によって得られた、上記二つの原理を本件マリオメーカーに当てはめ、将来を予測すると「マリオメーカーばかり見ていた視聴者が、限界効用逓減により徐々に興味を失い、限界効用均等の法則により他の動画を見始る。つまり、マリオメーカーの現在のようなブームはいずれ終り、その後文化として定着する。」という未来が予想される。これは「マインクラフト」等の過去のブームと同じ流れである(マイクラとの違いは、マリオメーカーの特徴として、多様性の無さから限界効用逓減が早く、また限界効用もマイクラに比し低くなるだろう)。よって、原則として、市場メカニズムに委ねていれば、ランキングからマリオメーカーは放逐され画一化は解消するという事である(自由放任ーレッセフェール)。
 しかし、これは通常の市場メカニズムとは異なるニコニコ型市場メカニズムである。理論通り市場メカニズムが機能しない部分があると考える。それが如何なるものなのか、検討していきたい。

7.ニコニコ型市場メカニズムの限界。

 市場メカニズムは基本的に万能であるが、これはニコニコ型であるので、当然理想的な市場メカニズムとは異なり隙がある。それは、以下二つが考えられる。別々に列挙したが、これらは相互に関係している。
 一つ目は「視聴者はランキングというカタログを通して市場に参加する」という点である。これは人気のある商品に常に目が行く(完全情報ではない)為、ランキング(=カタログ)内容が硬直化しやすいという点である。これは資本主義の原理的欠陥である「富が富を呼ぶ現象(格差社会)」に非常に似ている。貧富の格差の動画バージョンである。これはランキングをカタログとして使うニコニコ動画では致命的である。これでは市場メカニズムが上手く機能しない。
 二つ目は「熱心なファンの存在」である。つまり、極めて口が悪い言い方をすると「好きな実況者が喋っていたらそれでいい(KUN氏)」という視聴者が一定数存在する事である。このような視聴者を攻撃する人々が多いが、これも合理的な行動であり、批判は当たらない。しかし、市場メカニズムがうまく機能せず上位層の膠着化を招くには十分である。
 上記の知見を総合すると、ある統合された問題が見える。それは、ニコニコ型市場メカニズムでは「貧富の格差」が是正できない事である。つまり、一つ目の理由と二つ目の理由の複合により、ランキングの供給側が限定されてしまい(不完全競争)、再生数を独占してしまう(没落しにくい)のである。つまり、ニコニコ型市場メカニズムは「投稿者の寡占(市場が少数の売り手投稿者に支配されている状態のこと。)」を生む。
 次に、ニコニコ型市場メカニズムよって成立するランキング寡占が如何なる弊害を生むのかを検討する。これで、全ての話がつながると思う。

8.ニコニコ型市場メカニズムによる寡占の欠点。
 ニコニコ動画における寡占の欠点は以下の四点だと考える。(追記。実は4項に話がループしてしまっている。本来ならこの項を廃止し、4項と統合するべきであるが、あまりに大変なのでその努力を放棄する。)
 一点目は、努力の低下である。ファンの存在により需要の安定的な確保が行われるので、供給側の努力にブレーキがかかる。つまり、投稿者がファンの存在に胡坐を欠き、動画の改良やイノベーションを怠りやすくなるのである。「レベルを上げて物理で殴る」ではなく「人気を上げてファンで殴る」である。安定は怠惰を生む、残念ながら、生存の危機が無ければ人は頑張れないのである。現実問題として、現在の情勢では「人気実況者」と「新規実況者」が「同質の動画」を投稿した場合、再生数は前者が後者を上回る(「人気投稿者」や「公式チャンネル」の動画は、面白い面白くないは別として投稿直後に「再生数やマイリスト数が増える」のでランキング入りは当然。(ニコニコ解析説明文より引用)」)。有名実況者には数万に及ぶお気に入り(旧ウオッチリスト)により投稿時ブーストがかかり、ランキング入りする為だと考えられる。(だからと言って、この格差をゼロにすると言うのは全体主義者の危険な発想である。何故なら、そのお気に入りと言うのは、努力を持って得た正当な評価であり、投稿者はこの利益の享受を受ける正当な権利であるからだ。しかし、現実問題として弊害がある)。
 二点目は、後続が生まれにくくなる。カタログたるランキングを寡占投稿者が独占するので、まだ人気を得ていない投稿者が評価されにくくなるのである。言い方を変えると、本当に実力のある投稿者が適正に評価されにくくなる。寡占投稿者の固定化がここで行われる。寡占が寡占を産み、ここら離脱できない。
 三点目は、「限界効用均等による興味の先が、ニコニコ動画以外のモノである可能性」である。つまり、一時期需要の過熱により、合理的な行動を行う実況者たちが一斉にマリオメーカー等の受けが良いゲームを行い、ランキングを画一化する。しかし、そのブームが終息すると共に「限界効用逓減の法則」によりブームの対象動画への興味をゆっくり失い「限界効用均等の法則」により「他の動画」を見始める…としたが「次の興味の対象」が「他の動画」ではなく「ニコニコ動画以外の別の物」となる可能性が十分にあり得る。即ち、「ニコニコから人が離れる」のである。ランキング(=カタログ)が特定動画で埋まっている時間が長ければ、自らの趣向にマッチする動画と出会う確率が減り、その比率も高くなるだろう。
 四点目は、多様性の損失である。寡占により新しい知能の流入がなくなるので、動画内容が「今までと同じ見た内容」となってしまう。つまり、人の循環があればそれだけ脳みその数が増えるのであるが、それが無くなり画一化」される。そう、最初の話に戻るのである。「ニコニコ型市場メカニズム」は「寡占」を産み、「寡占」は「頭脳の画一化」を産み、「頭脳の画一化」は「衰退」を産むのである。この証明こそ、本稿で私が言いたかった事である。(そうだ、「グルッペン・サイクル」と名付けよう。)
 
 みなさん理解されただろうか。話を総合すると、ニコニコ型市場メカニズムの欠陥である「寡占」は多くの問題を生み出し、その問題の一つが「ランキングの画一化」なのである。これこそ本件の本質である。
 よって、ニコニコ型市場メカニズムには原理的欠陥(寡占)があり、その是正の為に介入を行わなければならない。

9.どのような介入が必要なのだろうか。
 結論から述べると、まだ評価されていない投稿者」を政策的にランキング(=カタログ)に連れて来る」という介入が最も好ましいと考える。何故なら、それは「必要性」と「許容性」を満たす手段だからである。「必要性」としては「寡占」の問題点が「供給」の担い手が限定されている事だと考えると「供給者を供給する」事が望ましいからと考えるからである。まあ手段としてはそうなるだろう。「許容性」としては、「正当な努力」で現在の地位を手に入れた「合理的な行動」を行う投稿者達の「正当な権利」を害さないからである。確かに現在ランキングにいる方々にとっては、相対的に不利になるかもしれないが、本人たちに直接規制を加えた訳でない(許容性)。また「まだ評価されていない投稿者」も一定の段階で「有名投稿者」達と対等な戦いを挑むことになるだろう。
 よって、「「まだ評価されていない投稿者」を政策的にランキング(=カタログ)に連れて来る」という介入を実施するべきだと考える。

10.如何なる主体が介入するか。
では、誰がその問題の是正を行う事が可能なのであろうか。以下三つの主体が考えられる。(1)運営。コメントや動画の削除、ユーザーの追放、富の配分など強力な「暴力」を独占的に保有する。またサイトのレイアウトまで変更する絶対的な力を持つ。
(2)動画投稿者。動画投稿をする人々。利得の最大化を目的に、ある程度合理的に行動する。活力の源泉であり、問題の源泉でもある。
(3)視聴者。最も力をもつ主体。再生数や営利の源泉である。
 まず「投稿者」に修正政策実施を求めるのは妥当ではない。思うに「投稿者」は群体であり、統一的な指揮統制が行いにくい。また、「投稿者」は合理的行動により利得の最大化を図る主体であり、市場メカニズム以外の方法で運動を規律する事は難しい。次に「視聴者」に政策実施主体を担う事を望むことも妥当ではない。匿名は責任の無い行動を生み、扇動家によりニコニコ動画全体が騒乱状態になる恐れが有る為である。よって、「利得を最大化する為に、合理的な投稿を行う投稿者」や「参加者である視聴者」ではなく、「暴力を独占する運営」が政策実施の当事者になるべきである。

11.運営は具体的に如何なる手段で介入すべきか。
 では、運営はいかなる条件と手段で介入を実施するべきか検討する。基本的な目的は「新しい風を吹き込む」事である。そしてこれは、必要性と許容性、そして人権規制立法の手段審査に関して用いられる基準の一つ、当該目的を達成するためにより制限的でない他の選びうる手段が存在しない場合に合憲とする基準(より制限的でない他の選びうる手段の基準(LRA)の法理(基準))に適合する形で実施する必要があるだろう。
 運営が新たな制度を構築することにより「合理的な投稿者」を良き方向へ操作する事が適当と考える。即ち、市場メカニズムの中に何らかの細工を仕込むことにより、彼らを誘導するのである。
 以上を踏まえた上で、以下の政策が考えられる。

(1)別のランキングを作ることである。
 具体的には、正規のランキングと共にまだ評価されていない動画投稿者専用のランキングを別に作る事である。お気に入り数一万人以下の投稿者のみ条件などが望ましいだろう(抜け道がいくつか考えられるが、それは別の論議であるので置いておく)。新規投稿者は、まずそのランキングで上位になる事を目指す…という事が望ましい。新人賞的なノリである。道徳的視点からは、既にファン層を抱えているお気に入り人数10万とか抱えている人気投稿者と投稿歴の浅い投稿者が同じ土俵で競争させるのは公正ではないからと主張できる。また、人気投稿者の足を引っ張っていない為、許容性もある。
 逆に、人気投稿者のランキングを作ってそこに隔離するべきではないかとの意見もあるだろうが、これは妥当ではない。何故なら、その「人気投稿者ランキング」が風通しの悪い閉鎖空間となる可能性がある事である。努力は正当に評価されるべきであり、強者の足を引っ張るような政策は、投稿者の生産意欲を削ぎ(許容性が無い)、よりダイナミックな市場の洗礼(移民)の可能性が孕んでおり、非常に危険である。(追記、私の脳内ではサブ的なランキングになる事を想定している。ニコニコ動画を見る視聴者が100人いたとしたら、10人くらいの人間が見るランキングである。)

2)政策的動画の発掘。
 運営は、人気投稿者による審査委員会を設置し、埋もれている面白い動画の紹介動画を作るべきである。市場メカニズムによって自然発生的にこのような動画が作られる事が難しい、又は伸びにくい。よって、運営主導で実施すべきである。その際、人気のある投稿者を評価役に取り入れると良いかもしれない。プロの目により正確な動画が選べる事と、信頼感が増す事、そしてファン層の共有が見込める為である。これも人気投稿者に直接的権力を実施する物でなく、許容性がある。(追記。この意見には多くの疑問が寄せられた。単純に言うと人気投稿者への不信であり、私もそれには同意する。理論的修正の余地があるだろう。)

3)動画の質に対する運営による評価。
 具体的には、同一系統の動画がランキングに溢れ帰るときはそのゲームを冷遇する事である。極めて権力的な方法であり不当であると考えるが、とりあえず書いておく。特定ゲームや実況スタイルのランキング独占の抑止の為である。例えば、マリオメーカーがランキングを独占する事態であれば、それを様々な観点から不利に扱い、投稿を抑制する政策を実施する事になる。現実として需要が有るからランキングを独占しているのであるが、ランキングの画一化という外部不経済が起こる為、公益を失する。さらに未知の事象で市場メカニズムによる自浄作用も働かない可能性も考えられる。この場合は介入が必要と考える。しかし、これは非常に危険であり、極めて限定的な状況において使用されるべきものである。具体的には運営が統計資料によりランキング独占によって生まれる強力な弊害が市場メカニズムによる自浄作用で浄化されないと立証され、どうしても介入の必要があるという極めて限定された特殊な事情がある場合である。何故なら、ランキングの運営による恣意的な介入は極めてランキング制度全体の信頼を失う可能性がある事、そして法的安定性の無さは市場メカニズムの混乱を起こす(許容性なし)からである。必要最小限度の制約ではない。本件では不要だろう。具体的な規制手段は、ブームを巻き起こす同一ゲームや実況スタイルに動画収益を一定金額で割り当ててしまうという事である(なんか株取引のようだ)。すると、皆が投稿すると一人あたりの受け取りが減るので生産数を抑制する事が可能である。理論上存在すると考えてほしい。

(4)啓発活動。

 いろんなゲームが換金可能だよと、運営の側から積極的に広報を行うことである。パンフ作るとか。ちなみにこれはKUN氏のアイデアのまるパクリである。それほど完成度が高い案である。情報の開示は新規参入の敷居を低くできる。

12.結論。
 結論を列挙する。
 マリオメーカー等によるランキング独占に関しては、原則として自由放任という対応が望ましい。何故なら、放っておけば「神の見えざる手」により、ランキングからマリオメーカーは「視聴者の需要に応じた最適化された数の動画」を残し、放逐されるからである(限界効用逓減の法則により、投稿数が増えれば増えるほど飽きられる=供給過多になりマーシャル的調整過程を経る事となる)。
 しかし、ニコニコ型市場メカニズムには原理的な欠陥が
あると考えられる。それは「投稿者の「寡占」による動画の画一化」に関しては、ニコニコ型市場メカニズムによる是正が望めない点である。この是正の為に公的介入」を実施する余地がある。つまり、原則として「自由放任」を尊重しつつ、ニコニコ型市場メカニズムでどうしても是正できない点を運営(公権力)の手により修正するという事である。
 
具体的に如何なる手段で介入を行うべきかと言うと「「既存のランキング」とは別に「まだ評価されていない投稿者のランキング(お気に入り保有数一万以下のみ参加可能といった基準を設ける)を作る事(あ、俺、寡占投稿者としてはじかれるやん…イカン相対化相対化」」「「運営主導で評価されるべき動画を政策的に発掘する事」」が考えられる。
 これにより「努力を行っている有名投稿者」の「正当な評価」を害さず速やかに「まだ評価されていない投稿者」の「ランキングへの到達=格差の緩和」を期待できる。これは、動画の「画一化」という本質的な問題である「寡占」の根本的治療を行うだろう。

運営による 「供給者の供給」これが結論である。
(10/17)やあ、これに良く気付いたね。私は「ニコニコ型市場メカニズム」による「寡占」の是正に関して、遂に「終局的解決」を行う「革命的な知見」に辿り着いた。その「知見」発見後、この「些細な文章」は全て陳腐化してしまった。それは、市場メカニズムによる「寡占」の「自浄作用」を示唆するものであり、「運営の介入」を「完全に否定」するものである。それ故に運営はランキング不介入の立場をとっているのかもしれない。何れ論理的裏付けと共に発表したい(尚、書くの大変そうなのでお蔵入りする模様)これは内緒だゾ。
13.終わりに。
 二万文字に及ぶ難解な文章の読解お疲れ様です。流石に多くの時間をさけなかったので、一筆書きとなってしまっており、文章の整序及び文法が崩壊している。それ故、そのへんの本よりはるかに読みにくかった筈である(また読みやすく整えるかもしれない)。まあなんとなく言ってる事わかるだろう。何れにせよ、これを読破した勤勉な諸君の知的栄養になったなら筆者としては幸いである(ワイも書くのに五時間くらいかかったゾ)。なんかの病気かよ!と思うくらいの長文であるが、私の脳内に思い浮かんでしまったのである。
 最後に、これは無料ではあるが諸君の時間を奪ってしまった事は間違いない。その時間に見合った知見を諸君らに供与できたか不安である。よって、私からのささやかな賠償として、読破してくれた方にはこの文章を好き勝手引用する権利を差し上げる()。
 私は、ニコニコ動画の未来は明るいと確信している。何故なら、素直にニコニコ動画の将来を憂い、提言を行っている数多の人間がいる為である。共同体の将来を思い真摯に知識を収集し、それを発表する人間がいる限り、共同体の滅亡は有りえないだろう。
 読破された賢者の方は、感想を書いていってくれたら嬉しい。また、質問はツイッター(https://twitter.com/sovietunion1945)に書いてくれたら対応します(返すとは言ってない)。
投稿者:

グルッペン・フューラー

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