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星りんのブロマガ

西村ひろゆきという賢い人

2021-08-11 12:19:23

真面目な人間よりも賢い人間がちやほやされるようになった。

まぁそりゃそうで、ひと昔前はマジメに勉強して大学いって就職するのが当たり前と言われていたのに、いまとなっちゃ胡散臭い虚業ユーチューバーが秒でサラリーマンの月収を稼いじまうんだから、マジメにするなんてばからしくって当たり前って感覚がひろがるのも当然だろうと思う。

そうこうして、賢い人間や、あるいは「賢く見せる」のが得意な人間がもてはやされるようになって、マジメに正しいことを目指す人間は煙たがられて隅っこの方に追いやられていった。

西村ひろゆきって人はこのうち「賢く見せる」ってのが得意な人だが、特に時代精神というか社会の背景部分にある人心の動きというか、そういう、その時代の人間の俗っぽいニーズにぴたりと合う「賢さを見せる」手法に長けた人だったとも思う。

90年代以降の日本社会って、今まで信じてた(信じさせられていた)綺麗ごとに裏切られた直後だったから、その反動で身勝手で独り善がりで自己利益中心主義な考えが、バブル崩壊後の日本の停滞を打ち砕く抜け道みたいな歪な期待を受けて流行り始めていて、そこにきて「民事裁判の罰金なんて、払えるだけの資産を持っていなければ踏み倒せちゃうんですよ」なんて実証しちゃう人間が出てくると、「その手があったか!」「裁判所を歯牙にもかけないなんてすごい」「これからの時代はこういう人間が必要」ともてはやされるのは当然である。

自分さえよければそれでいいから一円でも得がしたい、と考える貧乏メンタルな乞食たちの前で、交通違反のもみ消し方とか法の抜け穴やら、いっちゃ悪いが卑しい情報を、ゲームの攻略情報のような感覚で披露して、こりゃすごい目からうろこだとありがたがられ喝采され、そうやって「賢い人」の表彰台に登っていったのが、ちょっと言い方がきついが西村博之という人でなかろうか。

一応断っておくが、西村博之自身は、確かに「賢い人」である。少なくとも既存のルールを盲信して自力救済的な発想を放棄している人よりは、賢いと思う。

でもその賢さは、知識としては大したものでも、知恵としては・・・つまり手に入れた知識をどう運動させるかという点においては、ゲームの攻略情報的なというか、なんだか、年の割に幼稚な気がする。

*********

原爆にせよデリバティブにせよなんにせよ、賢い人間が賢いことだけを信じて突き進むととんでもない禍をもたらしてしまうもんであって、賢さには、良識だとか道徳だとか責任だとか、そーゆー効率性の面からは負の効用しかない余計なものが一つか二つ対になっていなければならない。

過去を振り返ると、システムや環境の変化に人間や社会が追い付かず、大きな混乱や危機に直面することは、歴史の節目によくあることである。

16世紀ヨーロッパじゃ新大陸からの金の流入でインフレが高進したが、近代経済理論が未発達だった当時はなぜこんなことになるのか理由が見つからず、社会はひたすら混乱して魔女狩りが吹き荒れたりもした。日本でも惣村の発達とか社会の根底部分の変化に統治制度が追い付かず戦国時代に突入したり、もっと時代が下ると帝国主義的資本主義が矛盾の限界を迎えた戦間期なんかは、正しい社会主義を探し求めてヨーロッパ中が殴り合ったりしていたし、第二次大戦後には、原爆と東西冷戦のなかで世界中が核戦争の脅威に怯えて暮らして暮らすことになった。

そしていま、私たちは情報化社会の高度な発展という新しい節目に立ち会って、この変化に対応しきれず、右往左往して混乱している。

インターネットの普及とスマートフォンの登場で、人々は情報を無尽蔵に消費できるようになり、かつ、情報化することで自分自身を無尽蔵に提供するようになった。巨大なIT企業は莫大な情報を提供するふりをしながら、一方で際限なく人々から情報を吸い上げ、それを原資にまた新しい情報技術やプラットフォームなどなどを次々と開発・リリースし、無限ループ的に社会を情報漬けにしていく。

情報化されまくった社会というビッグデータのなかで、気づけば私たち以外の誰か・・・この社会をともに構成しているメンバー達であるはずの誰かは、いつのまにか、、リアリティの欠落した、何だかいるのかいないのかよく分からない、次々とスポーンしては消えていく断片的なモブと化してしまった。

得体の知れない誰かを言葉のマウンティングで組み伏せて安心する光景がそこかしこで見られるようになり、それが社会の断裂を煽って、フェイクニュースがあちこちで流通するようになって、ときには直接的な流血すら引き起こしている。

ロシアは情報化社会を他国を混乱に陥れる攻撃経路として利用し、中国共産党は先端情報技術を抑圧に活用して中国史上初の完全な人民支配を達成しようとしているし、イスラミックステートはSNSを使って絶望した若者を戦闘員として引き寄せ、アメリカでは世論の断裂を加速させ世界最大の法治国家における無血の政権交代に失敗した。そして世界中の労働者たちが、急速に発達する人工知能によって自分たちの労働スタイルに変革を強いられている。

賢い技術者たちが、自分たちの賢さだけを信じて無責任に作り上げてきた情報技術とその社会は、大きな危機を世界中にばらまくことになった。

*********

いま、私たちにとって必要なのは、単に賢い人、技術を知っている・開発できる人ではなくって、それがどういった副反応を引き起こすのか、ほとんど未知に近い新技術が文明に対してどのような責任を負うべきなのかを言葉にできる賢さを持った、責任というものを知る大人であると思う。

ウォッチドッグス2のゲームさんぽにひろゆきが特別出演していて、興味が湧いて見てみた。

ひろゆきの賢さというのはどっちかというとゲーマー的な賢さの趣が強いので、最短効率最短経路を計算するゲーマー脳では真っ先に切り捨てられる(ゲームの攻略上特に時間を割いて考える意味のない)ゲーム世界の演出部分を、ゲーマー脳で解説するというのは、企画としてはぴったりなので、やっぱり期待される面白さを外してはいなかった。

ハッキングの技術や情報技術の応用の可能性について様々に単語を駆使しながら述べるのは、さすが「賢い人」だと思ったが、でも、うえにあげたような技術の負うべき責任のありようとか、その活用方法を知る「賢い人」としての自分が持つ責任感、あるいは責任感とは言わずともそれに近いなにかしら所感とかは、なんら述べられることはなかった。

編集の過程で削除された可能性がなきにしもあらずだが、今までのゲームさんぽのありようからみても、そういう部分はむしろ進んで乗せそうなので、個人的には、やはりひろゆき自身にその気がなかったのでないかと思っている。

それが残念でならない。

いま、いろいろなところで、情報技術にどうやって実効性のある責任を持たせるのか、なぜそれが今までできなかったのか、やらなかったのか、やり方が間違っていたんじゃないかと異口同音に言われていて、多くの人が答えを探し求めている。

自分もその一人である。

その一人として、ひろゆきからどんな言葉が出てくるのか聞いてみたかった。

ひろゆきの「嘘を嘘と見抜けないと(ry」という言葉が現役であったころからインターネットという情報技術に浸かっていた自分も、若いころはそんな責任やらなんやらを気にする必要はないと思っていたし、情報化で便利になっていく世の中をただただ喜んでいればそれでよくって、日々発表される新技術に精通していれば世の中についていける「賢い大人」でいられるのだと、単純にそう考えていた。

しかしいま、いい大人と言われるこの年齢になって、単に技術とその応用を計算できる知識があるだけでは、大人として本来期待されていることには、全く意味がないのだとようやく気付けた気がする。

ライフハック的な知識だとかはもちろん価値がある。

価値はあるけれども、それは情報に価値があるのであって、その情報をもっている自分に価値は無いし、そういった情報を嗅ぎ当てたり掘り当てたりする技術をもっていることにも、人としてそんなに意味はないんじゃないかと思う(本を売りたい出版社やページビューを稼ぎたいニュースサイト運営会社にとっては価値があるだろうが)

インターネット社会の歩みを見続けた人間として、情報技術のもたらしたものに触れ続けた大人として、若い世代や未来の世代に向けた言葉が、無責任な攻略情報の陳列でいいのか。若さを追い求めて技術や知識の尻を追いかけまわしているだけではだめなのじゃないか(※)。この社会の歴史的な節目に立ち会った大人たちのとるべき責任のあり方の一つを、例示して見せるだけの姿勢を持つべきなんじゃないのか。上記の動画でも、おそらくゲーマー脳だから、的確に動画として求められている役割を理解して提供しているだけなのかもしれないが、そこで話をぶった切ってでも「ひとこと言わせてもらいたい」という姿勢を見せてほしかった。

若いころからネット社会への慧眼を持っていた一人として、ひろゆきの大人としての、責任とはどういうものなのかを、お目目ぱちぱち薄笑いではなくマジで語った言葉を、いつかどこかで聞いてみたい。

この糞みたいなネット社会に救いを求める一人の大人として、そう思う。

(了)



※)ピュータン事件ってそういうところに要因があるんじゃないの。

投稿者:

星りん

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