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星りんのブロマガ

振り子の行く先:こんにちはテロ時代

2021-08-09 22:20:58

「上級国民」だの「日本死ね」だの「もう終わりだよこの国」だのいうフレーズが、どうにも最近は冗談以外の文脈が宿り始めていることを見れば、いよいよ社会が「そっちの方向」に動き始めているのが察せられる。

国家公務員も地方公務員も大手企業社員も中小企業社員も医療従事者も果てにはアルバイトに至るまで、あらゆる階層の人々が、破綻以外に行く宛先のない旧体制を無謀な労働で支え続けていて、その懲役労働のような社会の現状に人々は陰に陽に悲鳴を上げているのに、体制そのものは鍋蓋の上にどしんと座り込んで微動だにしないのが、この20年間で身をもって知った現実で、限界まで高まっているにも関わらず適切な逃げ口を見いだせない圧力は、いずれ爆発することにしか解決策を見いだせなくなるんだろうなと、ひしひしと、そういう未来が感ぜられる。

労働現場の改革だのなんだのと、ベーシックインカムやら最低賃金やら消費減税やら総選挙やら政権交代やら色々とお題目はあるが、社会の根幹が腐っているというか完全に行き詰まっている以上、あらゆる政策はたとえその理屈が正しくとも、政策の施行過程において手段が捻じ曲げられ、効用は腐敗し、ただしい結果は導かれず、失敗することが決定づけられているように思える(新型コロナ対策で開発されたアプリが、馬鹿みたいに巨額の予算をつけながら、そのほとんどがピンハネ中抜きされて役立たずのアプリが仕上がったように)

口先で「政治を変える」と言っている政治家どもに言ってやらねばならないことは、東日本大震災と福島第一原発事故とコロナ禍と、前代未聞の「国難」を三つも経験してもなお何も変われないこの国とこの国の社会を、たかが「政治」ごときでどうやって変えようというのか?ということで、この10年15年を振り返ってこの国の末期的な病状においては、もはや「政治」は「小手先」の問題でしかなくなってしまったので、「政治」ごときでなにかが解決されるなんてことは、想像することもできなくなってしまった。

社会的経済的政治的問題の膨大さの前では、おおよそ710人の国会議員と約60万人の国家公務員などでは、解決への努力だのなんだの言っても、問題の最も浅い部分で砂遊びをするぐらいのことしかできないし、実際のところそれ以下のことしかできていない。せいぜい次の選挙に響くマーケティングをするぐらいで、それらの施策はほとんど社会の構造的問題に影響を与えることなく、数十億もの必要経費とともに数年で溶けてなくなり忘れ去られてしまう。

何かを「変える」には、もうすでに、なにもかもが手遅れなんだろうなー、と、大して深く考えなくとも誰でも感づけてしまうところまで来た。

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日本人は基本的に民主政体に縁がないので、事あるごとに街頭に繰り出して社会を揺さぶるようなアメリカやフランスのような民主主義社会を忌避していて、それよりも中国やシンガポールや、もっと言えば北朝鮮のような、統制の取れた秩序ある、安定的な全体主義社会に親近感を憶える。

民主主義国家において社会的な動揺は権力の腐敗や硬直化を修正するためのある種のスタビライザーだが、日本人としては、ことあるごとにスタビライザーが作動するせわしない社会というのはそれ自体が欠陥のある社会である、というふうに映ってしまうので、そういうことのない静的な統制のある社会の方が好ましく思う。だから、欠陥を前提として常にそれと取っ組み合っている民主主義よりも、金科玉条不磨の大典によって整然と予測可能的な全体主義の方が、社会の運用方式としてむしろ優れているのでないか、という考えにのっとって、戦後日本は民主主義の皮を被った全体主義国家として運営されてきた。

そしてそれはそれなりに成果をあげてきて、ついには巨大な経済大国を築き上げてしまったので、日本人はこの疑似民主主義全体主義国家に密かな誇りを持ってきたわけである。

で、当然そうなると問題となるのは、革命の生じない長期に安定した政体・・・つまり非民主的な社会に君臨する競争に晒されない権威権力は、いずれ腐敗してしまうことは避けられないのだが、ではいざ政治の腐敗と硬直化に直面した時、どうやってそれを乗り越えるのか?ということである。

で、日本社会はこの問題の解決策を結局見出されなかった。

というよりは放置した。

理由は簡単で、国家など、景気がよければ政治が腐っていてもまったく問題ないのでないか、という考えがあったから。

90年代のSF世界観では、形骸化した国家に代わって民間企業が世界支配に君臨しているという設定がよくあったが、別にこれは完全なファンタジーというわけではなく、当時の日本社会はこれに近い状態だった。

世界市場を席巻する自動車企業があり、最先端技術を開発する電算企業があり、世界中にネットワークを持つ巨大な財閥商社があり・・・政府を凌駕する影響力と経済力をもつこれら巨大な民間企業群が経済大国としての日本のほとんどを運営しており、彼らが顕在である限りこの国はどうとでもなる。政治などあってもなくても大差ない、という時代が確かにあった(当時のSF作家が日本に未来を見ていたのは、単に先端技術分野のことではなく、こういった社会背景のほうが大きかったんでなかろうか。まさにGAFAが支配する近未来世界のような)

で、90年代の日本人が全幅の信頼を寄せていた民間企業群は、バブル崩壊後の30年間を通して、ものの見事に崩れ去っていく。

結果、かつてないであろうと思われていた最悪の事態に、新陳代謝能力を持たない腐敗した政治が剝き出しになる事態に行き着いた、ってのが2021年の日本であると思う。

なんでこうなるまでほっといたの?と言うかもしれないが、あの頃は、本当にこんなことがあり得るとは考えられてなかったんだよ。マジで。笑えるよね。

でもまぁ、こうなってしまった以上、どうにかしなきゃならないわけで。

なぜかっつーと、問題解決の能力がない以上、問題は生まれることはあっても無くなることはないわけで、どんなに取り繕っていても水面下で問題は増え続け悪化し続けていて、それは、いずれ限界に達してしまうからである。

なんでどうにかしようという人たちは現れる。

しかしやっぱり、先述の理由から、どうにもならない。

ではでは、どうにもならないとどうなるのか?という話である。

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江戸時代末期、あるいは1930年代、社会問題は行くとこまで行って断崖絶壁な局面に追い詰められたとき、日本人が取った行動は、テロリズムだった。

幕末で言えば、桜田門外の変を皮切りに起こった「天誅」の嵐や、30年代でいえば「昭和維新」の名の下でのテロ事件がそれである。

日本社会は歴史的に、自らの矛盾が限界に達したとき、テロリズムが流行する傾向がある。

自らが変わらない安定した社会を求めたくせに、ある一点を超えると、今度は逆に変わろうとしない社会の安定性に絶望して、もはや手遅れになってしまった以上は他に手段がないと、とにかくこれを破壊しようとする。

誰だっけ?戦前の高名な政治家も、日本人は極端から極端に振れる振り子のようだと言っていたが、その振り子が極端に達するとそういうことになる。

桜井誠がいまさらになって(自分達が片棒を担いだ)行き詰まった社会の現状に愕然として「クーデターが起きなければならない」と言っていたらしい。ヘイト発言ばっかしてるような奴だからいよいよ頭がおかしくなったのだろうとせせら笑う声もあったが、そういうことだけというわけではなく、社会が行き詰まると、自然そういう声がどこからか聞こえてくるもんなんである。

自分は桜井誠の発言を、単に頭のおかしい人間の戯言とせせら笑う気はない。

自民党がこの約10年間のうちに政治における言語コミュニケーションの無意味化を推し進め、意思疎通の存在しない政治的な認知症を重症化させたことを見れば、何をやっても嘲笑され、無視され、腐敗だけが目前で遂行されていくだけなのなら、議論というものがどこにも成り立たないのであれば、実力行使が選択される時代は避けられない。

現在の選挙制度や政治体制は既成政党によって私物化されており、もはや、「突撃隊」によってでしか現状を打破する術はない、という結論に行き着き、それを実行に移そうとする集団は、やがてでてくる。

N国党の立花孝志がMX本社に押しかけた事件は、大局的に見ると、「突撃隊」集団の萌芽というか、予行演習だったと思う。いずれ現れる後続集団は、より戦術を洗練させて、歴史の教訓をも逆手に取り、世論の動向を見極めながら波状攻撃を仕掛けるんじゃなかろうか。

硬直化した社会を相手取って大立ち回りを演じ、体制側はこれをせせら笑うが、現状に絶望して拍手を送る人々は、気づけば社会の3割ぐらいを占めていて、3割もいれば十分多数派を演じられるだろう。そうなると「突撃隊」はいよいよ勢いづいて、戦術をエスカレートさせる。

エスカレートした戦術がどこまでいくかはわからないが、いずれ人殺しぐらいはするだろう。

その手の連中が、権力を遂に手に入れるかどうかはわからない。実際に戦前の日本ではナチスのような連中は誕生しなかったわけだし、幕末だってテロを繰り返していた浪士たちも多く破滅してる。

だが、一時的にせよ、より動乱する社会がくるのは確かなんでなかろうか。

(了)
投稿者:

星りん

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