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桃缶

【APヘタリアMMD】だれかの心臓になれたなら【解説(?)】

2020-10-09 18:49:46



解説とかいうほどまっとうなものにはなりませんが、なにを考えて作っていたかを備忘録兼芋兄弟への愛情表明として残しておきます。

全編通して、兄弟沼に頭まで浸かったオタクの妄言と幻覚なのでお気を付けください。
あと思ったこと全部書いたのでほんとに長いです。

ここに書くことが動画の解釈の「正解」のつもりはまったくないです。
みなさまの思った通りに解釈して、良かったらそれをどこかで教えてくださるととってもうれしいです。

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■「こんな世界」と嘆くだれかの 生きる理由になれるでしょうか

本動画の壁(概念)としての線路でした
ご本家PVに電車のモチーフがあったのでそれを参考に、メインモチーフのひとつに電車と駅を採用しました。相対する構図がやりたかった。

■これは僕がいま君に贈る 最初で最期の愛の言葉だ

ぷーちゃんがこれを弟に言う図が一年半ずっと頭から離れなかった。
やめろ最期とか言うな

■前奏

ロゴはご本家PVのオマージュですが、ご本家のロゴでは真ん中に心臓のイラストが入ってるので、そこにドイシが配置される構図にしてみました。

■街も人も歪み出した 化け物だと気付いたんだ
 欲動に巣食った愚かさも 全てがこの目に映る

Stunde Null = 午前零時
ドイシが降伏し、ヨー口ッパにおけるWW2が結末した時点のことを、ドイシ史においては「午前零時」と扱うそうです。
終戦直後くらいのイメージで作りました。
間に挟まる子独のシーンは、本人が国としての自覚を持ち始めた頃くらい。幼い頃から地獄はいっぱい見てきてると思うので、そういう諦念というか絶望はありそう。

■シアトリカルに手の上で誰も彼も踊らされる

ここから過去編(?)
theatrical = 演劇的に、芝居ががった
歴史を語る上で、舞台の上/下という比喩が好きです。シアトリカルだなって思う。
ここで出した三人は広義では皆「ドイシ」と呼ばれるものの旗手だったことがあるひとたちだけれど、この中のだれも最終的に「ドイシ」にはなれなかったのドラマチックですよね。

■生まれた意味だって知らぬまま
 形骸化した夢は錆びついてしまった

このステージめちゃくちゃ好き。

信仰のために生まれた(東ヨー口ッパを荒らしまわってましたが……)ぷーちゃんが結局はカ卜リックを辞めて国を得て、神聖口ーマと結びつく「ドイシ」の諸邦として大国へとのし上がっていったことに感じるロマンがあります。
そうして悲願のドイシ統一を果たして弟をその座に据えた彼が、WW2の敗戦後に自らが二つに分かれたドイシのうちを片方を名乗らされるのめちゃくちゃ皮肉だなって思います。辛い。
神聖口ーマのほうは、最後には「帝国」としての存在意義を失って形骸無実化して消えてしまったの、この歌詞に合うなあと。

■「愛をください」きっとだれもがそう願った

ドイシ語合ってる自信ない全部ぐ~ぐる翻訳です

神羅(名目的にはドイシ人国家の集合体)→
墺(神羅の実質トップ→ドイシ連邦の盟主)→
普(北ドイシ連邦の盟主→ドイシ帝国のトップ)→

のこと、勝手に「ドイシの系譜」と呼んでます。

■「愛をください」そっと震えた手を取って

元伴侶たち(語弊)

■「愛をください」 心を抉る
 醜いくらいに美しい愛を

ドイシのことを「手を引いて舞台にあげた」のはぷーちゃんだなと。
手の大きさの違いすごい

ドイシを舞台にあげるということは自分は舞台から降りるということで、それはプ口イセンという「国」からしたら「醜いくらいに美しい」愛だなと思います。国の本懐は舞台の真ん中に立ち続けることだと思っているので。

■「こんな世界」と嘆くだれかの生きる理由になれるでしょうか

親父大好き。
上司なんて生まれてこの方何人もいただろうに、ぷーちゃんの中でいまでも親父があんなに時別で大好きなの、やっぱり親父といた頃の、北の方のぱっとしない田舎者が、神聖口ーマの盟主オース卜リアを打ち倒して名を挙げたあの頃の「プ口イセン」が彼にとって大切だったからなんだろうなと思っています。
「『こんな世界』と嘆くだれか」が親父のイメージでした。国王になんてなりたくなかった、そしてそれで親友を喪った親父が、最終的にはプの前に膝をつきプを「生きる理由」にして、プに心臓を差し出したという図。
この頃は親父とかの存在を含めたぷーちゃん自身がぷーちゃんの「心臓」だったと思います。

■いつか終わると気付いた日から死へと秒を読む心臓だ

普領MMDer絶対死ぬまでに一度あの絵の再現構図をやる説(もも調べ)
持っていた自分の旗を手放して、「ドイシ」の前に膝をつくぷーちゃんという構図が絶対にやりたかったのでできて満足です。


ドイシの冠を弟に渡すということは、自分は「いつか終わる」ことに他ならないし、個人的な解釈では、彼はドイシが生まれたときに、ドイシになるのは自分ではないと「気付いた」のだと思っています。
そういう存在の前に膝をついてぷーちゃんはドイシに「心臓」を差し出して自分は「死へと秒を読む」ことを自覚した瞬間、という思いで作りました。親父がプに膝をついてるシーンの対比に見えてたらうれしい。


"Hunde, wollt ihr ewig leben?"(ごろつき共よ、永遠の生を得たいか?)
七年戦争での親父の言葉です。
「永遠の生」とはざっくり解釈すれば「死してなお名を遺す」ことだとわたしは思っていて、それはいまのわたしたちの価値観からしたら決して手放しで褒められた精神性でもないとは思いますが、ぷーちゃんにはわりとそういうところがありそうと思っています。
自分の心臓は「死へと秒を読」んでも、それが弟の心臓として生き続ければそれで良いみたいな。そういう解釈でこの言葉をここに置きました。
いや全然よくない。君も生きてくれ。

■ねえ このまま雨に溺れて藍に融けたって構わないから

時間軸が分断期に戻る。
「藍に融けたって」の愛は、資本主義の青と共産主義の赤、という対比における「青」のほうをイメージしてました。

■どうか どうか またあの日のように
 傘を差し出し笑ってみせてよ

「どうか どうか」は本家PVを参考にしました。
手の大きさ違いすぎて指切り難しかった。かわいい。
にこりともしないで対立する東西。
この春待ちに連れられてすれ違う構図が一度はやりたかったので満足しました。

■間奏

この構図がわりと気に入っている

■もしも夢が覚めなければ姿を変えずにいられた?

「もしも夢が覚めなければ」=神聖口ーマがイタちゃんと一緒にいたあの幸福な時期が終わっていなければ
「姿を変えずにいられた?」=「ドイシ」だったのは神聖口ーマだったかもしれないね
ざっくり言うとそういう解釈だった。
神聖口ーマとドイシは(肉体?の継承はともかくとして)精神性としては別人格だと思っていますが、「別人」と呼ぶにはちょっと受け継いだものが多すぎるような気もします

■解けた指から消える温度
 血を廻らせるのはだれの思い出?

頑張って見ると、途中に新羅とぷーちゃんの絵が挟まってます。

なんかドイシ諸邦は消えるとドイシさんの中に知識とか経験とかかっこよさとか引き継ぐらしいですね。さらっと恐ろしい設定で震える。
ドイシさんの「血を廻らせる」のはドイシさん自身の記憶や経験だけじゃなくて、彼が彼として自我を持つ前のいろんな「ドイシ」たちの思い出が彼の血肉になっているし、その中には神聖口ーマやぷーちゃんのそれも色濃くあるんだろうなという心です。入れらんなかったけどたぶんオース卜リアさんもあるよ。

■雨に濡れた廃線 煤けた病棟

■並んだ送電塔

■夕暮れのバス停


■止まったままの観覧車

この動画はこのシーンから作り始めました。
雨に濡れた廃線/煤けた病棟 = 神聖口ーマ(廃線……)
並んだ送電塔 = 消えていったドイシ諸邦たち
夕暮れのバス停 = オース卜リア(失礼ながらこの時代の彼は斜陽という言葉がよく似合う)
止まったままの観覧車=プ口イセン王国
配役がぴったりすぎて震えた

■机に咲く花 君の声も
 何もかも最初から無かったみたい

花はいつものごとくヤグルマギクです。
生まれてからずっと手を引いてくれた兄でも、そばにいなければいないことにいずれ慣れてしまうわけだけど、「最初から無かったみたい」と気付いたらショックだろうなとは思う

■死にたい僕は今日も息をして
 生きたい君は明日を見失って
 なのに どうして悲しいのだろう

神聖口ーマの廃線で対峙する芋、みたいなニュアンスのことがメモに書いてあった。なるほど。
ぷーちゃんは別に原義的に「死にたい」わけではないと思いますが、せっかく彼が統一したドイシが二つに分かたれて、自分がその片方として立たされているという事実に思うところはあったでしょうし、それでも国としては「今日も息をして」いたんだろうなと思います。

■いずれ死するのが人間だ

彼らが「人間」を語るのとても含蓄がある。
「人間」の部分伏せ字にしようかと思ってやめました。彼らは人間ではないけど人間のかたちをしているし、そのことにきっと意味があるなと思ったので。

■永遠なんてないけど
 思い通りの日々じゃないけど

国は不死みたいに思われがちだけど、全然不死なんかじゃなくて、何百年何千年生きてもあるとき突然いなくなるし、下手したら人間より短い時間しか生きられない国だってきっといただろうなということはよく思う
神聖口ーマの存在はヘタリア界における「永遠なんてない」の象徴かなと。口ーマ爺ちゃんとかもそうかな。

■脆く弱い糸に繋がれた

ベノレリンの花火です。空に壁はないやつ。
枢軸三人をパングルと対比したかったのでイタちゃんにも来てもらいました。
描写できなかったけど、ベノレリンの壁が崩壊する決定的な一言を引き出したのはイタちゃんちのマスコミでしたね。

■次の夜明けがまた訪れる

プ口イセンの化身だった男が東ドイシの化身になった、という設定に立って考えたときにヘタリアで生まれるとんでもないドラマが汎・ヨー口ッパピクニック事件だと思います。この設定によって、この事件の主要人物がフライパングルになってしまう。ドラマチックだ……
矢面に立った姐さん、それを黙って受け入れた貴族、彼らに手を引かれたぷーちゃん、の図がサビ

■どんな世界も君がいるなら
 生きていたいって思えたんだよ


作ってて自分で泣いた
この曲で芋作ろうとしたのだれ? まじで無理
生きて

■僕の地獄で君はいつでも絶えず鼓動する心臓だ


一番のサビでドイシとしてのぷーちゃんの心臓はドイシにあげたので、この歌詞は「僕」が普、「君」が独と解釈してました。
かつて手放したぷーちゃんの心臓はいつでもそこにあってほしい。

■いつしか君がくれたように
 僕も、だれかの心臓になれたなら

鏡面にぷーちゃん映したのにカメラのせいでわかりづらくなっちゃった。
ここの「僕」はドイシで「君」がぷーちゃんです。
ぷーちゃんからもらった心臓を自分のものにして生きていくドイシさん。



ここ、実はオース卜リアさんより右は全員ドイシの隣国たち(姐さんとリヒちゃんは違うんですが関わり深いので便宜的に)なんですが、コメをいただいて気付きましたがあろうことかルクセン君を忘れていました。
ほんとうにごめん。シンプルにミスです。あと気付いてくださってありがとうございます。

(後奏)

トラビの助手席に弟を詰め込むのがなかなか大変だった。


「おかえり」って言ってます。見えない。リップ難しい。

(後奏2)

1話目の冒頭の演出を最終話ラストシーンで回収するのが好きなタイプのオタクです。
コメントでも言っていただきましたが、「最初は対峙していた兄弟が、最後は同じホームから同じ方向の電車に乗る」のをどうしてもやりたかった。
なんも動かないのもつまらんなと思ってペットボトル受け渡すシーンを入れようとしたのが地獄の始まりだった。モーション作る人はすごい。

(エンドカード)


あと五億年くらい幸せでいてくれ!!!!!!!!

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こんな妄言を最後まで読んでくださった方がいらしたらありがとうございます。

すごく個人的な話ですが、MMDを始める前からこの曲を芋兄弟のイメソンだと思っていて、MMDを始めたとき、いつか動画の腕が上達したらこの曲で芋兄弟の動画が作れるようになりたいなと、ひとつの目標にしていました。
まだまだ思った通りの動画が作れる腕でもないですが、いろいろな方の素敵な作品をたくさんお借りして、足りない分の技術は芋への愛でなんとか誤魔化して、再統一30周年に合わせてこの動画を完成させることができて本当にうれしいです。

推しへの愛だけはたくさん込めたつもりなので、愛の詰まったコメントや感想をいただけてとてもとても光栄です!
再生・コメント・マイリス・いいね・広告・twitterでの感想などなど全部ありがとうございます!
芋兄弟は永遠に奇跡的な仲良しでいてくれ!!! ご視聴ありがとうございました!

もも


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もも

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