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『吸血鬼』という和製漢語を生み出したのは南方熊楠…という説が覆った!プロの評論家からのお墨付きも頂きました

2018-05-04 18:50:43
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『吸血鬼』という和製漢語を生み出したのは南方熊楠…という説が覆った!プロの評論家からのお墨付きも頂きました - 吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ (vampire-load-ruthven.com)


普段何気なく使っている吸血鬼という単語。この単語は和製漢語であり、日本で作られたと考えられています。そしてこれまでの定説であった、南方熊楠造語説が覆りました。そしてとある評論家の方からも新発見であるとのお墨付きを頂くことができました。今回はその経緯を紹介していきたと思います。

 実は『ゆっくりと学ぶ吸血鬼 第13話①~③』で既に解説済みです。ですが今回この発見はこれまでの定説が覆った大変貴重な情報であり、どの本でも紹介されていません。文字でも残しておきたく、今回記事にすることにしました。かなり長い記事となりますが、ご容赦下さい。

【目次】
『吸血鬼』という和製漢語を生み出したのは南方熊楠…という説が覆った!
英語ヴァンパイアの最初の翻訳は「吸血鬼」ではなくて『蛭』だった!
『吸血鬼』は和製漢語で中国へ伝来した!
吸血鬼は『吸血魔』とも呼ばれていた!日本の『鬼』とは関係がない?
戦前の日本で吸血鬼といえば『女吸血鬼』が主流だった?
芥川龍之介に英語を教えた先生は、吸血鬼にも詳しかった!?
ヴァンパイアは吸血鬼以外にも『落とし穴』という意味があった!?
 番外編:「怪物」が『フランケンシュタイン』に変わったのは何時?
"vampire"の訳語の変異まとめ【最終記事】
日本における吸血鬼ヴィジュアルイメージはどのように定着していったのか:当ブロマガ記事を参考にした卒業論文が作られました


動画はこちらから



1.『日本の吸血鬼』というものは存在しない

 普段何気なく使っている「吸血鬼」という漢語。当然、英語で言うところの「ヴァンパイア:vampire」日本語訳である。ちなみに「ドラキュラ」も吸血鬼を指す一般名詞で用いられることもあるが、本来はブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ」に出てくるドラキュラ伯爵個人を指す。つまり個人名であるので、吸血鬼の総称として「ドラキュラ」と用いるのは本来は誤り(重箱の隅をつつくようであるが、今回の記事ではこの認識をきちんと理解しておく必要があるので、どうかご容赦頂きたい。ドラキュラの由来はいずれ解説予定。)

 吸血鬼という存在は小説、映画、アニメ、ゲーム、ラノベはおろか、最近では吸血鬼系バーチャルyoutuberが雨後のタケノコ如く登場してきている。このように「ヴァンパイア:吸血鬼」は、サブカルにおいては供給過多ポピュラーなモチーフとなっている。さてそんな身近な「吸血鬼」という存在であるが、皆さんは「一般的な吸血鬼」と聞くとどんなものを想像するだろうか?

 普通は上記画像の様に夜会服に身を包んだ美形(貴族)の男子、もしくは妖艶な美女、牙が生えている、にんにくや日光が弱点、とくに日光を浴びると灰になる、という姿を想像されるだろう。では「日本独自の吸血鬼」という存在はみなさん想像できるだろうか?
 マシュー・バンソンの『吸血鬼の事典』によると、肉も食べる悪鬼も含めるならば、日本の般若火車も吸血鬼の一種だとして紹介している。英語wikipeidaの「伝承の吸血鬼リスト」の記事では河童も吸血鬼だとして紹介していたりする。私の動画のコメントでは磯女飛縁魔が日本における吸血鬼だという意見が見られた。

 だがこれらは正確に言えば「吸血鬼に当てはまる日本の妖怪は?」というと問いに対する答えだ。もしこれらの妖怪が吸血鬼ならば、最初から「吸血鬼」と呼称すればいい話である。ここまで言えば皆さんも察しがついただろう。英語でいうところの「ベースボール」を日本語に当てはめる為に「野球」という漢語が作られたのと一緒で、「吸血鬼」という漢語は英語でいうところの「ヴァンパイア」という存在を、当時の日本人でも理解できるように作られた和製漢語なのだ。(別記事で解説するが、中国から伝来した可能性はまずない
 その証拠に吸血鬼と聞けば、まず西欧由来の姿の存在しか思いつかないはずだ。決して日本由来の吸血鬼の姿は想像できないし、そもそも日本古来の吸血鬼などという存在は、民間伝承には存在すらしない。

2.これまでの定説:吸血鬼という漢語を作ったのは南方熊楠

 さて西欧のヴァンパイアという存在を表すために吸血鬼という単語を作ったのは誰か?そのあたりを最初に言及したのは恐らく、2005年発売の東雅夫編纂血と薔薇の誘う夜に―吸血鬼ホラー傑作選 (角川ホラー文庫)だろう。この本の巻末にて東先生は、吸血鬼という単語の成立に関して考察を述べられている。東先生の調査では「吸血鬼」という漢語を作ったのは、日本の博物学者、民俗学者であった「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称された天才・南方熊楠ではないかとしている。熊楠は「人類学雑誌」1915年4月号「詛言について」で、次の様に言及している。

東欧州にありと信ぜらるる吸血鬼(ヴァムパイヤー)は、父母または僧に詛言されし者、死してなるところという。

リンク先の青空文庫に全文あり

 私の「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」シリーズを全部見てきた方ならお分かりになるだろうが、ここでいう吸血鬼は今の洗練された一般的な吸血鬼ではなく、西欧の民間伝承で伝わっている本来の土俗的な吸血鬼について言及している。さて熊楠は、「幽霊の手足印」「荼枳尼天について追補」「肉吸いという鬼」などと、「人類学雑誌」に寄稿した論文中で断片的にではあるが、「吸血鬼」という存在を紹介している。
 後年、「変態心理」の1925年6月号でも吸血鬼を紹介しているのだが、こちらは海外の文献をいくつか紹介しており、

「(吸血鬼という存在をもっと知りたいのならば)それら(海外文献)を見るがよい」

と述べている。これに関して東雅夫先生は、『西欧の吸血鬼を同定して魅せる博識慧眼さもさすがであるが、参照すべき典拠を示して解説した嚆矢ではなかろうか』とも述べている。

 以上のように南方熊楠が1915年(大正4年)に、吸血鬼という言葉を使っていることが確認できた。だがこれだけでは最初の事例と断定することはできない。この南方熊楠造語説を後押しするのが、テオフィル・ゴーティエ原作「死女の恋(題名の訳は複数あり)」の日本語訳である。

3.南方熊楠「吸血鬼造語説」を後押しする、芥川龍之介の翻訳物

 テオフィル・ゴーティエの女吸血鬼の物語「死女の恋」は、フランスでは1836年に出版された。そして邦訳されたのは77年後の1914年(大正3年)久米正雄と共訳者によって翻訳された。実は久米正雄は名義貸しのみで、実際に翻訳を担当したのは、当時東京帝国大学生であった、あの芥川龍之介である。久米と龍之介は同じ東大英文科の同期である。ちなみ発表当時は龍之介の名前はどこにもなくて、久米正雄の名前しかなかった。この理由だが、東大在学時の龍之介は無名であったのだが、久米は大学生ながら既に名声を得ていたので、久米の名前を借りて世に広めたかったでは、と考えられているが、憶測の域は出ない。ただ後年、死女の恋の再版の際は龍之介の名前は広く知れわっていたので、あの芥川龍之介が翻訳したということを広めるために、芥川が本当の翻訳者であることが公開されたいう流れだ。

 話を戻すと、芥川龍之介は「クラリモンド」という題名でゴーティエの「死女の恋」を翻訳した。芥川はフランス語原著からではなくて英訳版から翻訳を試みた。その英訳版の題名が「クラリモンド」になっていたのだ。ということでまずはフランス語原著版と龍之介が参考にした英訳版の、「ヴァンパイア:vampire」とい単語が出てくる箇所を見てみよう。
【フランス語原著】
On a dit que c'etait une goule, un vampire femelle ; mais je crois que c'etait Belzebuth en personne.

【英訳】(なお、リンク先のサイトで英訳版全文が見れる)
They used to say that she was a ghoul, a female vampire; but I believe she was none other than Beelzebub himself.

 赤字で変えたところは、グール、女吸血鬼、そして「蠅の王」として有名なベルゼブブである。グールは今やゲームなんかではゾンビの一種にされることが多い、あのグールである。さて龍之介はこの女吸血鬼(女ヴァパイア)の訳語に「夜叉」と当てている。

【芥川龍之介の翻訳】(全文はリンク先の青空文庫を参照)
このクラリモンドには、終始妙な噂があったって。何でも女性の夜叉だと云う噂じゃ。が、儂はたしかにビイルゼバップだと信じているて。

 龍之介の訳では女ヴァンパイアを女性の夜叉と当てている。グールは翻訳されていないが、この理由は皆目見当もつかない。さてこの作品は後に半七捕物帳などで有名な岡本綺堂も、15年後の1929年に翻訳している。岡本訳は次の通り。

【岡本訳】(全文はリンク先の青空文庫参照)
彼のクラリモンドについては、種々の不思議な話が伝えられていますが、その愛人はみな恐ろしい悲惨な終わりを遂げているようです。
世間ではあの女のことを発塚鬼(グール)だとか、女の吸血鬼(ヴァムパイヤー)だとか言っているようですが、私はやはり悪魔であると思っています。

 グールと、ヴァムパイヤーは実際に振られているルビである。ご覧の様に岡本訳では、ヴァンパイアは吸血鬼という訳語を当てている。逆にベルゼブブは普通名詞の悪魔としているが。ここはベルゼブブは蠅の王としてではなく、あくまで一般名詞の悪魔の意味で用いているのでは?という意見が寄せられた。だが数多くある日本語を見る限りでは「蠅の王」の意味として訳しているものが多い。
 グールには発塚鬼と見慣れない字を当てている。岡本綺堂の中国怪奇小説集に発塚異事(はっちょういじ)というものがあるので、これは発塚鬼(はっちょうき)と読むものと思われる。これは最初、岡本の造語だと思っていたが、ゆっくり解説仲間の烏山奏春氏の調査により、岡本が参考にしたであろう英和辞典が発見された。1925年(大正14年)の井上英和大辞典ではグールの訳語として發墓鬼(はかあばきおに)として紹介している。発塚鬼と發墓鬼の違いはあるが、似通っていることとそれぞれの出版年月を考慮すると、岡本はこの事典を参考にした可能性は十分考えられるということだった。

この画像のリンク先

 さて以上をまとめると、1914年芥川龍之介は、vampaireという単語を「夜叉」として翻訳した。その1年後の1915年南方熊楠は、vampireという存在を「吸血鬼」という訳語で紹介した。東雅夫先生の意見では『東大英文科の俊秀にして西欧怪奇小説にも旺盛な関心を示していた龍之介が、「吸血鬼」という言葉を知らなかったとは考えにくい。日本人向けにヴァンパイアという言葉をあえて意訳したとも考えられるが、だとするとすぐ後で「ビイルゼバップ」、つまりベルゼブブを原語表記にしていることと矛盾するいずれにせよ1914年当時、吸血鬼という訳語が一般に認知されていなかった、あるいは存在すらしなかったと考えるのが妥当だろう』と述べられている。
 この時代は日本人でも馴染む様に、海外の神や天使は日本の神仏に置き換えられて翻訳されることもある。例えば明治から昭和初期の英文学者小日向定次郎が翻訳したバイロン卿の異教徒(不信者)という詩。この詩ではイスラム教の神や天使は全て、仏教由来の仏や菩薩に置き換えられている。例えばグールやイフリートはそれぞれ悪鬼、羅刹とされているし、houriというイスラム教で信じられている、死後迎えてくれる処女の美女は女菩薩として翻訳されている。小日向定次郎は小泉八雲の教えを受けた人で、芥川龍之介より年上ではあるが似たような時代を生きてきた人だ。このようにこの時代の翻訳では日本人が馴染む神仏に置き換えられることは珍しくもない。だが東先生が指摘しているように、それならばなぜ蠅の王として有名なベルゼブブはそのまま紹介したのか、疑問が残る。今は西欧文化が広まったこととゲームやアニメなどの影響で、現在の日本人ならベルゼブブと聞いてもまず理解できるが、大正時代の人はベルゼブブと聞いても何のことかさっぱり分からないだろう。以上から芥川龍之介は、吸血鬼という言葉を知らなかった、存在すらしてなかったのだろうというのが東雅夫先生の意見だ。

 この東雅夫説は2006年発行図解 吸血鬼(新紀元社)」においても紹介されている。このように東雅夫説は非常に説得力があり、吸血鬼好きの間では「吸血鬼という漢語は南方熊楠が生み出した」と信じられてきた。

 ところが2016年4月、この南方熊楠造語説を完全に覆す完璧な証拠が見つかったのだ!
そして次から次へと新事実が判明していった。それを解説していこう。

4.発見の経緯

 きっかけは私のゆっくり解説者仲間である烏山奏春さんの2016年4月22日のツイッターでの呟きだ。
「芥川龍之介ってクラリモンドの邦訳とかもやってたのか。 初めて知った。(リンク先参照)と呟かれた。これを見た私は「その件については、いずれ私の動画でも解説予定ですよ」とリプライを送った。リンク先のツイートを見て貰えればお分かりになるが、その後は「吸血鬼」という訳語を作ったのは南方熊楠ではないか、それを後押しするのが芥川龍之介の「クラリモンド」である、この件は東雅夫の「血と薔薇の誘う夜に」に書いてあった、ということを返信した。この日はこれで終わったのだが、奏春さんはふと気になったらしく、2日後にとてつもない発見を知らせてくれた。

 突如、押川春浪という作家をご存じですか(リンク先も参照)と連絡が来たのだ。恥ずかしながら私は押川春浪という作家は知らなかった。明治期の冒険とSFの作家で弟の押川清と共に大の野球好きであった人物。弟の清は早稲田大学野球部の主将となり、現在の中日ドラゴンズの前身の球団を作り上げた、プロ野球創設者の一人に数えられる人である。兄の春浪の方はというと、旧五千円札でお馴染みの新渡戸稲造が野球害毒論を発表したとき、新渡戸に猛然と抗議したことで有名。

 さてその押川春浪であるが『怪風一陣:武侠小説』という小説を1914年(大正3年)6月4日に発行している。そこには「日米の決闘」という話が収録されているのだが、その話の中に「吸血鬼」という単語が使われていたと(リンク先参照)いうことを奏春さんが連絡してきたのだ。



国立国会図書館デジタルコレクションの画像のリンク先
発行年月日が分かるリンク先

 画像やリンク先を見て貰えればわかるが、「毒悪なる吸血鬼」という単語が使われている。そして内容を見ると「処女の生き血を飲んで長らえている」というようなことが書かれている。よってこの小説における「吸血鬼」は、西欧でいうとろこのヴァンパイアでまず間違いない。龍之介の「クラリモンド」の発表は1914年10月16日、一方、押川春浪の「怪風一陣」の発表はそれより少し早い1914年6月4日である。これは南方熊楠が吸血鬼という言葉を使った1915年よりも早かったことを示す何よりの証拠だ。そして芥川龍之介の発表よりも数か月早いことも判明した。

 この時点では私は、押川の父はキリスト教の牧師であり、押川自身も早稲田大学の前身の学校の英語学部出身。だから海外の文献に触れる機会があったのではないか。そして南方熊楠説を紹介した東雅夫先生は、押川の件は知らなかった、もしくは物的証拠となるものがないから紹介しなかったのではと、この時点ではそう考えた。

 ところが翌日、事態は更に発展することになる。そしてSNSの力を思い知ることとなった。まずは当時の私と奏春さんのツイッターでのやりとりをキャプチャーした画像をご覧頂きたい。ツイッターなので下から上へと見て下さい。

怪談専門誌『幽霊』のツイートのリンク先①

怪談専門誌『幽』のツイートのリンク先②

 これは当時キャプったものなので、烏山奏春氏は前のハンドルネームの兵主部となっている。リンク先をみれば現在の烏山奏春氏であることは確認頂けるはずだ。さてツイッターを知らない人に説明をすると、これは私と奏春さんのやり取りを、怪談専門誌『幽』というところがリツイートしたのだ。普通は私と奏春さんのやりとりは私と奏春さん両方をフォローしてくる人にしかタイムラインには表示されないが、検索すれば見ることもできる。私と奏春さんのやりとりを『幽』は発見して、リツイートしてきたのだ。自分のリプライが他人にリツイートされると当然私にもそのことが通知がくる。というか私のスマホがやたらと通知でピコンピコンとなるもんだから気になって仕方がなかった。一体何事かと思ってツイッターを見てみると、リツイートに関してコメントが添えられていた。

これは本朝吸血鬼移入史上、貴重な発見かと。>前RT 春浪は盲点でしたが、たしかに使っていてもおかしくはないと思います。
『万国幽霊怪話』なんかも出してるし。背景が気になりますね。(雅)

このツイートのリンク先①


なお、小生『血と薔薇の誘う夜に』巻末解説に記した南方熊楠造語説は、あくまでも「管見の及ぶ限り」でして、
熊楠本人も、それ以前に使用している可能性はありますし、第三者が先に考案していた可能性もあると思います。
松井松葉の「血を吸う怪」(1902)も、あと一歩な感じだし(笑)。(雅)

このツイートのリンク先②
 
 このように貴重な発見であると述べられている。これも十分驚愕したが、さらに驚愕したのがこのリツイート主だ。この(雅)といい、小生「血と薔薇の誘う夜に」という書き方といい、おいおい、まさか…と思って、この怪談専門誌『幽』のプロフィールを確認してみた。

怪談専門誌『幽』のホームのリンク先

 うわぁああーーー!今回の奏春さんの発見を新発見と太鼓判を押されたのは、なんとまさかの、南方熊楠造語説を最初に紹介した東雅夫先生ご本人さまであった!これにはもう驚愕するしかなかった。すぐさま奏春さんにも「東雅夫先生が昨日のやり取りを見つけて、新発見であると太鼓判を押されておりました」と連絡した。普段冷静な奏春さんもこれには、ただ驚愕するばかりであった。

 今回この件を紹介することに関しては、東雅夫先生より『全文をそのまま引用』『出典明記』の条件を必ず守ることでご許可を頂きました。快く承諾して下さった東雅夫先生にこの場を借りまして、厚くお礼を申し上げます。

2018年9月8日追記
月刊ムーの記事について呟いたら、東雅夫先生からお返事が頂けました。
2年前のツイートをついに動画で紹介できて、好評であったことをご報告させていただきました。詳しい経緯はツイートリンク先を参照してください。


5.『吸血鬼』という訳語は少なくとも明治には存在していた!

 怪談専門誌『幽』という公式からのリツイート、それも南方熊楠造語説を唱えていた東雅夫先生により、吸血鬼という訳語の成立に関して新発見があるというコメントが添えられた。当然怪奇現象に興味を持つ人が沢山フォローしているアカウントなので、我々のやり取りのツイートはどんどんと拡散していった。私のスマホの通知が鳴りまくっていたのは、どんどんと色んな人にいいねやリツイートされていったからだ。

 さて怪奇現象好きに拡散していったので、この件について興味を持つ人が現れた。その方が更に新発見をした。GoogleにはGoogle書籍というものがあって書籍のサンプルとかが公開されているのだが、他にもwikiソースと同じく、パブリックドメインとなった何百年も前の文書の画像コピーが公開されている。そのグーグル書籍で吸血鬼と入れて、ツールで検索範囲を19世紀と指定すると、19世紀に書物で吸血鬼という言葉を用いた文書が検索できるという。私は当然として奏春さんもこの時点では、こんなググり方があるとは知らなかった。




 普通に検索した後、「もっと見る」から「書籍」選択。次の画面に移ったら右の「ツール」を選択するとバーが出てくる。そこから「期間指定なし」をクリックすると、期間を選択できる。ここで「19世紀」を選択すると19世紀の書籍で「吸血鬼」という単語を使っていたものの一覧が表示される。(その結果のリンク)一番下の「期間を指定」を選択すれば、さらに細かい期間を指定できる。

 そこでまず見つかったのは熊楠が発表した1915年より22年前の明治26年、1893年の「瑞派仏教学」(リンク先参照)という本に吸血鬼という言葉が出てくる。



 そして4年後の1897年「国民銀行論」(リンク先参照)という海外の本の翻訳本でも、吸血鬼という言葉が出てくる。


 「小説中に在る吸血鬼の如き高利貸し」とある。高利貸しの例えとして吸血鬼を用いることは既に18世紀ごろから見られる。ゆっくりと学ぶ吸血鬼シリーズを見た方なら分かるだろうが、18世紀の啓蒙思想家ヴォルテールは、吸血鬼の存在が社会問題となったとき、吸血鬼の存在は迷信である、本当の吸血鬼とは暴利を貪っている高利貸しや商人のことだと痛烈な皮肉を放っている。また19世紀の詩人バイロン卿は大学時代、高利貸しから度々お金を借りていたのだが、その高利貸しを吸血鬼呼ばわりしていた(参照:永遠の巡礼詩人バイロン)。現在でも経済に関する記事を見れば、金を貪る者を吸血鬼に例える記事は見かけることがある。

 さてどちらも国立国会図書館デジタルコレクションに保存されているものを紹介した。昔の資料を見る場合、Googleで検索する以外にもこの国立国会図書館デジタルコレクションに保存されている当時の英和事典を調べることも良い手段だという。

 そうして発見したのが、英和対訳袖珍辞書(英和對譯袖珍辭書)だ。「えいわたいやくしゅうちんじしょ」と読む。これは幕末の有名な英和辞典であり、wikipediaにも解説記事がある。それによると※日本で最初の本格的な英和辞典だという。この1866年慶応元年に英語ヴァンパイアの意味が載っていた。これは1871年明治4年版まで見られるそうだ。

※本格的な英和事典ならば、英和対訳袖珍辞書が最初であるという意味。日本で最初の英和辞典は諳厄利亜語林大成。次回記事で紹介



この画像は早稲田大学古典ライブラリーのデータベースに登録されている。
画像の詳細データのリンク先 この画像のリンク先
もし他の年代を調べてみたい方は、このリンク先から調査してみて下さい。

 明治2年(1869年)のものは国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧することが可能。ここでvampireは「妖鬼、小説にて夜中に人の血を吸うと言われし。大コウモリの名」とある。吸血鬼という言葉は用いてはいないが、これはまず間違いなく吸血鬼のことを指している。また大コウモリの名前であるともしている。これを見ると日本においてはどうも吸血鬼という存在は、最初から「小説における存在」として伝わってきたということは実に興味深い。

 さて英和対訳袖珍辞書には吸血鬼の存在は示唆されど、「吸血鬼」という単語自体は見かけない。これが1873年、明治6年の柴田昌吉、子安峻らによる「英和字彙 附音插図」では「吸血鬼」という言葉が出てくる。



 「吸血鬼(小説の)」とある。ここでも吸血鬼は小説における存在という認識のようだ。ただし「ちをすうおに」というルビを振っている。こちらもオオコウモリの意味でもあるとしているし、蛭の意味でもあるとしている。このように昔の事典ではヴァンパイアといえばコウモリの意味あいが強かったのかもしれない。1892年の「雙解英和大辞典」や1894年(明治27年)辞書でお馴染み三省堂の「英和新辞林」には、コウモリのイラストが添えられている。





 以上から明治期ではヴァンパイアと言えば吸血鬼という意味よりもコウモリの意味合いが強かったのかもしれない。さて三省堂のヴァンパイアの訳語は、最初に吸血鬼ではなくて「死霊」としている。これは「ゆっくりと学ぶ吸血鬼第7話」で解説してきたことがだが、1731年のアルノルト・パウル事件がきっかけで、吸血鬼の存在の有無について吸血鬼大論争で起きた。その時は英語にvampireという単語はなかった。オックスフォード英語辞典によれば英語vampireという単語が作られたのは1734年であるとしている。そしてその時ヴァンパイアとは「死者の体を動かす悪霊」として紹介していたという(参考:「The Origins of the Literary Vampire(amazon)」

 このように英語辞典でのヴァンパイアの最初の定義は「死体を動かす悪霊」が「血を吸う」と定義されていた。ゆっくりと学ぶ吸血鬼5話で解説したように、民間伝承の吸血鬼は幽霊の形態をとることも珍しくはない。恐らく三省堂が参考にした資料に「死体を動かす悪霊」とする辞典があったのだと考えられる。

 吸血鬼とは死霊、という認識は今でも残っているようだ。2017年4月30日付けのナショナルジオグラフィックの「吸血鬼や狼男はなぜ生まれた?伝説誕生の経緯を検証 科学で挑む人類の謎」という記事。
2014年に『プロス・ワン』という科学雑誌に掲載された記事によれば、ポーランドではバンパイアは「死体をよみがえらせて生者にとりつく不浄の霊」として語り継がれてきた。
 このように吸血鬼は死霊という認識は今なお残っていることが伺える。(コメント頂いたのですが、このプロス・ワンはちょっと怪しい記事もあるとか…)

 以上から南方熊楠が1915年に発表する以前にも、吸血鬼という言葉が存在していたことが確認できた。この時の調査では1873年、明治6年の柴田昌吉、子安峻らによる「英和字彙 附音插図」が、吸血鬼という言葉が使われた一番古い年代だった。実はもっと古い年代に吸血鬼という言葉があることを別の方が発見している。
 6世紀頃菩提流支(ぼだいるし)訳「仏説仏名経」に吸血鬼王という言葉が出てくる(リンク先参照)。これは典主地獄の三六王の一人だ。だがこれは後の英語のヴァンパイアのもととなったかまでは不明。あくまで6世紀には「吸血鬼(王)」という言葉があった、という事実が確認出来ただけである。

 以上が私と烏山奏春さんのツイートから始まった一連の流れである。まさか我々のやり取りから、ここまで事態が発展するとは思いもしなかった。今回の一連の発見はインターネットが発達した今ならではの発見だろう。Googleを筆頭に、何百年も前の書籍がネット上で検索できるので、素人でもそれなりの調査ができるようになったこと、SNSが普及したことにより情報の拡散が迅速になったことが今回の新発見に繋がった。

 さて私はこの「吸血鬼という漢語を造語したのは南方熊楠ではなかった」という事実に満足してまった。ところが同じゆっくり解説者である烏山奏春さんは以降興味を覚えて、更なる独自調査を行った。そしてさらに面白い事実を発見し、一連の調査をレポートとしてまとめられた。吸血鬼解説をしている身からすれば、この事実だけで満足してしまったことに大いに反省させられる次第である。

 次からはその烏山奏春氏の調査結果をもとに、私が気になった点を補足していきたいが、長くなったので、その解説は次の記事で行いたい。動画では解説済みであるので、早く見てみたい方は、ぜひ動画をご覧になってください。


2021年2月17日追記

2021年2月12日、二見書房より山口雅也総指揮「甘美で痛いキス 吸血鬼コンピレーション」という吸血鬼のアンソロジー本が発売されました。CDのアルバムに見立てた、一風変わったアンソロジー本です。そのアンソロジーには山口雅也氏と、京極夏彦氏の対談も収録されています。そのなかで京極先生は、なんとこの件について触れておりました。

山口
「ところで、「ヴァンパイア」に初めて「吸血鬼」の訳語を当てた日本人は誰か、京極さん、あなたならご存知ですよね?」

京極
「いや、個人を特定することはできませんが、南方熊楠が『人類学雑誌』に発表した論文「祖言について」(1915)でこの語を使っていて、それが最初ではないかという説が人口に膾炙していますが、どうも違うようですね。熊楠説を考証したアンソロジストの東雅夫さんから、ネット上で押川春浪の『怪風一陣』(1914年)という武侠小説にも吸血鬼という言葉は使われているので、そちらの方が早いという指摘があったとききました。ネットの集合知とはすごいもので、その後もさらに早い用例ががいくつか発見されているようです。ただ当時の環境を鑑みるに、小説や論文で使われたからと言って、それが一般化するかといえば疑問に残ります。まあ中国にも「吸血」という言葉ならあったんでしょうし、ヴァンパイアの意味ではないものの田中貴子さんなんかが研究されている『渓嵐拾葉集』(1300年代)などの仏教書にも吸血鬼の三文字は見られることから、言葉自体は造語というほど新奇なものでもなかったのかもしれない。それがヴァンパイアに宛てられたのがいつか、ということになります。
 明治期の辞書に載っているという情報をもらったので、調べてみたら載っていました。
(中略)周知と言えるか問われれば答えは否なんですが、明治六年(1873年)の『英和字彙』には吸血鬼として載っているのを確認しました。とはいえ、成立の過程はともかく、「吸血鬼」は和製語ではあるんです。
 なんと、東雅夫先生は京極先生にこの件をお伝えしていた。そして京極先生は先ほど紹介した「英和字彙」まで確認されていた。まさかこうして書籍で紹介されることになるとは思いもよらず、本を最初みたときは本当にびっくりしました。皆様もぜひ書籍をご覧になってみてください。

 京極先生は「ただ当時の環境を鑑みるに、小説や論文で使われたからと言って、それが一般化するかといえば疑問に残ります」と指摘されております。これはご指摘の通りで、この解説シリーズの最後の結びでも、当時の日本人がもつ吸血鬼イメージは更なる調査が必要であることは今後の課題として挙げております。ですがこの件に関して、当ブロマガ記事を参考として、「日本における吸血鬼ヴィジュアルイメージ」を卒業論文として研究された方がいらっしゃいましたので、そちらも合わせてご確認いただければと思います

該当記事へ
日本における吸血鬼ヴィジュアルイメージはどのように定着していったのか:当ブロマガ記事を参考にした卒業論文が作られました

最近の流行に乗っかり、投げ銭のサービスの一つ「Ofuse」を始めることにしました。
もしお布施頂けるかたは下記リンクへお進み下さい。
https://ofuse.me/#users/5131

動画はこちらから



次→英語ヴァンパイアの最初の翻訳は「吸血鬼」ではなくて『蛭』だった!【ヴァンパイアの訳語の歴史①】


投稿者:

ノセール

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